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どーも、ゆーすけです。
皆さんは空気を読んだり、察したりするのって得意ですか?日本はこの察する事が出来ると言う事がコミュニケーションにおいて大事な能力として奨励されていたりしますよね。
確かに相手が何を考えているかを想定しておくって事は大事だとは思います。でも、いくら考えても相手の考えている事なんてわかりっこないんです。で、なんかよく「空気読め」とか言われていたり、空気が読めない事を「KY」とか言ったりして、空気を読まない事がなんか悪い事の様に言われたりしてますよね。
僕はなんかこの風潮が、ぶっちゃけちょっとしっくりこないんです。僕が空気をあまり読まないタイプからなのかもしれませんが(笑)、基本的には空気なんて読まなくてもいいんじゃないかと思っているんです。
もくじ
「空気を読まない=他人を不快にしてもいい」と言う事ではない
ここで1つ誤解しないでいて欲しいのは、空気を読まないって事は、他人を不快にしてもいいって事を言っている訳ではないって事です。なんとなく、空気を読まないって事は破天荒で周りの事を一切省みず、めちゃくちゃに振舞ってもいい、なんて感じの雰囲気がありますが、僕はこれは全く違うと思っています。
とにかく、空気が読めようが、読めなかろうが人を不快にしたり、傷つけたりしていいって事はありません。どれだけ好き勝手に振る舞おうがある程度周りに配慮する必要があるって事は決して忘れてはいけない事だと思います。
確かに、法律に触れる様な事をしない限りは、基本的にやりたい事をやりたい様にやってもなんの問題もないと思います。でも、それは人に迷惑をかけない限りにおいてはです。自分勝手に横暴に振る舞う事と、好きな事を好きな様にやるって事は全く違います。自分が責任を取れない限りは、ハチャメチャに振る舞うって事はしない方がいいのではないかと思います。
で、こう言う事の例えでよく聞く様な話として、テレビに出ている人でハチャメチャな事をしている様に見える人が、実は画面に映っていない所ではすごく周りに配慮していて気を使っているなんて聞いた事ありませんか?僕はこれはとても重要な事だと思います。
だってそう言った関係性もなく、ハチャメチャに振舞っている人の事を周りが一緒になって盛り上げたりする訳ないですもん。そうやってちゃんと根回ししているからハチャメチャが成り立つ訳なんです。
だからと言う訳ではないですが、空気を読める読めない関係なく、普段から他人を不快にはしない様に心がけている事が大事なんじゃないかと思います。そして、人を不快にしておいて、「自分空気が読めないから、ごめんね」なんて言ってくる人の事はあまり相手にしなくてもいいのではないかと思います。だってそれは空気が読める、読めないには全く関係のない事だからです。
「空気が読めない=空気を読まない」と言う訳でもない
で、ここで1つ重要な事は、空気を読まない人が、空気を全然読めてないかって言ったらそう言う訳でもないって事です。僕が思うに、基本的に空気を読まない人ってのは、実は空気が恐ろしい程読めていたりします。だから、空気を読まなくてもなんとなく許されてしまうのです。だって、相手がどんな事を求めているかを大体把握しているんだから、相手を怒らせたりとか、がっかりさせたりとかしない様にその要求を拒否していく事も簡単に出来るはずなんです。
その一方で、空気を全く読めない人ってのは、基本ほぼトンチンカンな事をします。周りから見ても「えっ?今それやる?」とか「えっ?そこいく?」とか言う周りが本当に理解できない様な行動をとったりする事があります。だから、あまりに周りが理解出来ずにコテンパンにされたりするんです。
時にはこれを天才なんて呼んだりもするとは思いますが、これはとても稀な例だと思います。確かに、人と同じ事をしないって事が何か大きな事を成し遂げる為には必要であると思います。で、歴史上でもすごい事を成し遂げた人は、人が思いもしない様なハチャメチャな性格だったりする事もあります。でも、この手の人たちは、空気をわざと読んでいなかった訳ではなく、本当に空気が読めていなかったんじゃないかと思います。
まぁこの辺に関しては、大天才の人たちが何を考えていたかは僕の想像の範疇を超えてしまっているので知る由もありませんが、普通の凡才である我々がそれを真似するのはどうかと思います。恐ろしいほどの空気の読めなさは、何万人に1人とかの大天才に任せておけばいいんじゃないかとおもいます。
まぁそんな感じなの、僕はたとえ空気を読まないと言う選択をするにせよ、それが当たっているかは別として、ある程度相手が何を考えているかを想像しておくってのはとても大事なんじゃないかと思います。どう言う事に相手が喜びそうで、どう言う事に悲しみそうだって事を想像して付き合うって事は、人間関係を上手く構築していくには重要なスキルだとは思っています。まぁそれが「空気を読む」って事なんだろうと思います。
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出る杭になる事を恐れない
相手の事を考えて空気を読む(もしくは相手の気持ちを察する)として、じゃあどんな時に「空気を読まない」方がいいのでしょう。それは、自分の気持ちに反して何かをやめようとしている時なんじゃないかと思うんです。どう言う事かと言うと、僕の感覚では「これをやったら周りに叩かれるかな?」とか「これをやったら周りにバカにされるかな?」とか思っている時に、それを思い切ってやらないって事なんじゃないかと思うんです。
それって、自分で勝手に周りの反応を予測して自主規制をして横並びでいようとしている様な感じがするんです。周りの目を気にして出る杭にならない様にしているって感じがするんです。
もしそれが自分のやりたい事で、たまたまそれをやったらみんなが同じ事をしていたって言う横並びだったらいいと思います。でも、やっぱり目立ちたくないから空気を読んで、やりたい事をやらずにみんなと横並びにするって僕は何となく違うと思うんです。
上にも書きましたが、人と同じ事をしていたら何かを成し遂げるって事はそんなに簡単ではありません。やっぱり出る杭になるチャンスがあったら、それは思い切って出る杭になった方がいいと思うんです。で、なぜそれを思い切って出来ないかと言うと空気が読めちゃうからなんだと思います。周りが何を考えていて、何を求めているかを感づいてしまうからなんだと思います。
だからそんな時はあえて思い切って空気を読まないで、出る杭になっちゃえばいいんじゃないかと思うんです。ちょっと怖いかもしれませんが飛び出てしまえば何とかなるもんです。
まとめ
世間では「空気を読め」だとか「空気を読むな」だとか両方言われているので、どっちが正しいのかわからなくなってしまう事もあるんじゃないかと思います。まぁ結論から言うとどちらも正しいんだと思います。でも、それは捉え方の問題だと思います。
僕は「空気を読め」に関しては、周りを不快にしない様に気を使いなさいって事だと思って受け止めていますし、「空気を読むな」って事に関しては、自分を殺してまで周りに合わせるなって事なんじゃないかと思っています。まぁこう言う捉え方がこれらの言葉の本当の真意なのかはわかりませんが。
もし上記の様な捉え方をするならば、「空気は読んだ方がいいけれど、あえて空気を読む必要はない」って感じの事が、何となく僕の言いたい事です(伝わっているといいのですが)。なんとなくはっきりしなくてゴメンなさい。
ゆーすけ
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