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どーも、ゆーすけです。
皆さんは、「明日死ぬかもしれない、と考えながら生きた方がいい」なんて言葉を聞いた事はありませんか?もしくは、「今日が人生最後の日だったら、何をするか?」みたいな言葉を聞いた事はありませんか?
この手の言葉って最近巷でよく聞かれるようになったと思います。確かに言いたい事はわかります。時間を無駄にせず、毎日を懸命に生きた方がいいって言うような事を言い表したいんじゃないかとは思います。
僕もそう言う言葉を聞いてから、ちょっと考えてみた事はあります。でも自分には、なんとなくピンとこなかったんです。それを考えてみても「おー、やるぞー!」って感じに全然ならなかったんです。
だからと言って、その手の言葉を否定したいと言うわけではないのですが、僕にとっては「明日死ぬかも?と思って生きる」とか「今日が最後の日と考えて生きる」とかって言葉には、なんとなく違和感を感じてしまうんです。
もくじ
未来はいくら想像してもわからない
まぁまず、これは当たり前中の当たり前な事なんですが、未来の事はいくら考えてもわかりません。極端な事を言うと、1秒先の事だってわかりません。だから、「明日死ぬ」とか「今日が最後」とか言われても僕には一切想像がつかないんです。だってたぶん明日も生きてるんですもん(笑)。で、今日がたぶん最後じゃないんですもん(笑)。
そして、そう言う事を考えろと言われると、天邪鬼な僕には、逆に50年も100年も生きてしまったらどうしようなんて考えが頭に思い浮かんでしまったりするんです(笑)。
例えば、何か大きな病気をして、自分の死が目に見える形で現れると、生き方が変わるとは言われています。それは、僕もとてもよくわかります。遠いむかーしの話ですが、僕も医療の現場にいた事があるので、そう言った場面に遭遇した事は多々あります。
でも、やっぱりそれはそう言う経験をした人にしかわかり得ない領域なんだと思うんです。少しは想像する事は出来ます。でも、そう言う状況にいる人が何を感じているのかは、どうやってもわかりません。
だからと言う訳ではないですが、僕は、何も死が目の前に訪れる経験をした事がない人が、「明日死ぬ」とか「今日が最後」とかと考えるのはちょっと無理があるんじゃないかと思うんです。
まぁそう言う風に考えなさいと言う例え話なのはわかるのですが、実際そう言う現場をみてきたものとしては、軽々しくそう言うものを想像するのが、ちょっとしっくりこないんです。
たぶん何もしない
そして、たぶんここでも天邪鬼ぶりを発揮するとは思いますが、僕の場合、「今日が最後の日」とわかったとしたら、たぶん意味のある事は何もしないと思います。だって、もうここまできたらジタバタしたって何も始まりません。家族と美味しいものでも食べて、ゆっくりするんじゃないかと思います。
そして、1日で出来る事なんてたかがしれてます。もう今更ここにきて生活を正そうとしても変わらないでしょうし、いろんな後悔も悔い改めるだけの時間がありません。
たぶん、もしこれがあと2−3日だったとしても変わらないでしょうし、1週間でも変わらないでしょう。1ヶ月なら?1年なら?確かに時間が伸びれば、何かするだけの時間があるから、少しは何かやろうとするでしょう。でも、それはたぶん相続や遺産をどうするか?とかを決めるぐらいで、基本的には今と同じ様な生活を淡々と続けていくんじゃないかとも思うんです。
仕事も出来る限りは続けていきたいですし、家族との時間も大切にしたいですし、趣味だって出来れば今のままやっていきたいです。まぁちょっとは旅行なんかしてもいいかもなって思ったりもしますが、たぶんそこまで贅沢な事はしないんじゃないかと思います。
まぁだから、「残された時間がないと思って」って言われても、たぶん今までとそこまで変わらないと思うので、あまり深く考えても意味がないような気がしないでもないんです(かなり天邪鬼ですよね(笑))。
「いやいや、そう言う事を言っているんじゃないんだよ」って言う方もいらっしゃるでしょう。そのお気持ちは、とてもよくわかります(こうやって言っている自分が、たぶんこんな事考えてる人って少ないんだろうなぁって思いながら書いてますし)。
でもやっぱり僕には、終わりが決まっているから何か特別な事をするとか、自分を変えるとかってのが、なんか想像出来ないんですよね。
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そこまで追い込む必要もない気がする
で、確かに言いたい事は、「日々を精一杯生きた方がいい」とか「出来るだけ真面目に生きた方がいい」とかって事なんだと言うのは僕にだってわかります。でも、なんかそこまで自分を追い込んで生きるってなんか楽しくないような気もするんです。なんだか逆に辛くなっていくような気がしないでもないんです。
だからと言って、別に何か悪い事をしようとは思いません。でも、毎日を無駄もなく、聖人君子の様に生きるってなんか息苦しくないですか?ダラダラする日があってもいいし、手抜きをする日があってもいいし、何もしない日があっても僕は全然いいんじゃないかと思います。

そして、そんな息も抜けない様な生活を送るってなんか現実的ではない様に思えるんです。でもこれは、真面目に生きない方がいいって言いたい訳ではありません。そこはわかって欲しいのです。一生懸命毎日を生きる事はとても大事な事だとは思います。でも、なんとなく「今日が最後」って思いながら生きるって、僕にはなんか苦しい感じがするんです。まぁこれに関しては賛否両論あるとは思いますが。それよりも、僕はもっと肩の力を抜いて毎日を生きていきたいって感じなんです。
死んだ後の事まで考えなくてもいい
そして、これと似た様な言葉で「死んだ後にみんなにどんな風に思われたいかを考えながら生きるといい」って言うのもありますよね。天邪鬼な僕は、これも必要ないんじゃないかとは思っているのです。例えばこれが、自分はどう言う風な人間になりたいのか?って話ならわかるんです。
でも、自分がいなくなった後に他の人にどう思われたいか?って言うのは、なんともピンとこないんです。まず、自分がいなくなった後にどう思われ様と自分にはどうする事も出来ません。修正しようにもしようがないですよね。だって、もうこの世にいないのですから。そして、相手がどう思うかを自分がどうにか出来るって事もほぼほぼ不可能なんじゃないかとも思うんです。これって、結局自分がコントロール出来ないものに対して何かをしようとしている訳なんです。だから、考えてもどうにもならないし、考えても意味がない事なんじゃないかと思うんです。

そして、この他の人にどう見られたいかって事を考えるってのも、なんか他人の目を気にしている様でどうかなって思ったりもするんです。確かに他の人に悪く見られない様な生き方をした方がいいってのはわからなくもないです。でも、あまりに他人の目を気にして、その人たちによく見られる様に生きるってのもなんかかたっ苦しい感じがするんです。それよりも、そんな事気にせず、自分らしく生きていくのがいいんじゃないかって思ったりもするんです。

まとめ
いかがだったでしょうか?今回はちょっと天邪鬼な部分が多く出てしまいましたね(笑)。でも、なんとなく僕の言いたかった事はわかって頂けたんじゃないかとおもいます(てかそう信じたい)。
確かに死を意識して生きた方が、日々を精一杯生きやすいのかもしれませんが、その様な状況になった事がない人にとっては、そう考えて生きるってちょっと無理がある様な気はします。でも、その様な考え方を否定している訳ではありません。ただちょっと僕には難しいかなって感じなんです(もしこれを読んで気分を害された方がいたらごめんなさい)。
まぁ結局ここで何が言いたかったかと言うと、真面目で愚直に日々を淡々と生きる事は大切だけど、それだけじゃなく自分を追い込まないで肩の力を抜いて楽しむ事も忘れない方がいいよって感じの事です。それプラス、他人の目ばっか気にしてないで、自分らしく人生を謳歌した方が断然楽しいよって感じです。
ゆーすけ
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