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どーも、ゆーすけです。
皆さんは、せわしなくバタバタといろんな事を頑張ったのに「なんだか何も出来なかったなぁ」なんてがっかりしてしまう事ってないですか?
なんかもの凄く沢山の事をこなしたはずなのに「予定していた事の半分も達成出来てないなぁ」なんて感じで落ち込んじゃうなんて事ないですか?
で、そんな事が何度も何度も続くと、なんか全然何も出来てない自分に腹が立ってきてちゃったりしませんか?
おそらく、そう思ってしまうあなたは、とても頑張り屋さんなんだと思います。きっととても向上心が高いんだと思います。
それ自体は全然悪い事ではありません。自分に対する理想が高い事はどちらかと言うと良い事だとは思います。だからこそ、望んでいる自分と出来てない自分のギャップに苦しんでしまうんじゃないでしょうか。
でもね、それじゃあ、だんだん自分の事を嫌いになっていっちゃうと思うんです。せっかく頑張ってるんだから、自分を嫌いにならない方がいいんじゃないかと思うんです。だから、ちょっとぐらい出来なかったとしても、そこまで自分を責めなくてもいいんじゃないかと思うんです。
もくじ
「出来なかった」は「やらなかった」ではない
まず、1つここで覚えておいて欲しいのは、「出来なかった」と「やらなかった」を混同しない方がいいって事です。「出来なかった」は簡単に言うと「やった上での残念な結果」です。その一方で、「やらなかった」は、当たり前ですが、「そもそも何もやっていない」のです。でも、どちらも得られる結果は同じ(もしくは近い)です。
で、この「出来なかった」事に関してがっかりしている人の多くは、結果が得られなかった事にがっかりしていると同時に、何もしなかったと勘違いしている傾向にあるんじゃないかと思うんです。いやいや、違うんです。「出来なかった」人は、やっているんです。ただちょっと出来が悪かったとか、時間が足りなかったとかで思った様な結果を達成する事が出来なかったって言うだけなんです。
まぁ、確かに「出来た」とか「達成した」とか感じれる方がいいのかもしれません。でも、結果ってのは、その時の状況や環境、時には運とかってのもかなり影響するんです。まぁ言い換えると自分でコントロール出来ない要素が絡んでくる事が多いんです。だから、どんな事でも必ず「出来る」って事はあり得ないと思ってるぐらいがちょうどいいんじゃないかと思うんです。
で、こう言う時には世間一般では、「出来なかった」事に注目するのではなく、もっと「出来た」事に目を向けるといいなんて言われています。確かにそれも1つの方法です。それにプラスしてここでは、「出来た」だけじゃなく、「やった」かどうかににも注目してみるといいんじゃないかと思います。
たとえ「出来た」と言う結果がついてこなくても、自分がどれだけ「やった」のかを数えてみたりして、自分の目に見えるような形にしてみると、少しは自信も湧いてくるのではないでしょうか。
「出来なかった」=「失敗」って訳でもない
で、もう1つ忘れないでいて欲しいのは、出来なかったから失敗したって思う必要もないって事です。やってみて出来なかったからって、そこで終わりって訳でもないって事です。
もしかしたら、今回初めてだったのかもしれません。それならもう1回やってみればいいだけです。てか、出来るまで何回やったっていいはずです(まぁ回数制限とかあってずーっとやり続けるって事が出来ない場合もある事はあるのでしょうが)。
もしかしたら、やってる途中で中断しなきゃいけなかったのかもしれません。それならまた続きをやってみればいいだけです。
そんな感じで、出来なかったって事は、出来るかもしれないって可能性も十分秘めているはずなんです。可能性が1%でもあれば、基本的には出来ないって事はないはずなんです(まぁそれが上手く出来るかどうかは別の話ですが)。
って言う事は、失敗したと決めつけて諦めるのはまだまだ早いって事でもあると思うんです。そう考えてみたら、そこまでがっかりしている場合でもないんじゃないかなって思いませんか?
まぁでも実際はそんな簡単にはいかないですよね。そんな時は、「出来なかった、悔しい、キーッ」っとなるのではなく、「出来なかったけど、まぁいっか」とさらっと流してみるといいんじゃないかと思います。
これって聞いてるだけだと、「ほんとかよ?」って思うと思うんです。馬鹿っぽいなって思うと思うんです。でも、言葉って意外と力があるんです。「出来なかった」とがっかりしそうになったら、肩の力が抜ける様な言葉を無理にでも発してみる様にしてみてください(「まぁいいか」や「大丈夫」など)。騙されたと思ってやってみてください。
たぶんですけど、ちょっとだけ前向きになれる様な気になります。この「なれる様な気になる」ってのが結構大事なんじゃないかと思います。こんな感じで、完全にポジティブにはなれなくてもちょっと楽観的でいるっのが、ちょっと落ち込みそうな場面では効果がある様な気がします。
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「出来なかった」のなら開き直ってしまえばいい
それでも、どんなに「出来なかった」を前向きに捉えようとしても、やっぱり「出来なかった」らがっかりしちゃうよって方もいらしゃるでしょう。もうね、その気持ちよくわかります。もうそうなったら、今度は「出来なかった」事を認めちゃいましょう。そんな日(もしくは時)もあると認めてしまいましょう。
で、「まぁそうだよな、今日は出来なかったんだよな」と少し認める事が出来る様になったら、次は思い切って開き直ってしまいましょう。だって、自分だけじゃなくて、誰にだって「出来なかった」日は訪れるんです(信じられないかもしれないけどそうなんです)。どんな人に凄い人にだって、どんなに偉い人にだって「出来なかった」日ってのはあるんです。
だから、「自分だけがっかりしたり、落ち込んでたりしたらもったいないな」と思いませんか?
もうね、「今日はたまたま出来なかったんだ」とか開き直ってしまえばいいんじゃないかと思うんです。
これも結局前向きに捉えているんじゃないかとお思いでしょう。でも、僕にとってはちょっとこれは前向きとは違っていて、なんとなく自分に優しくしてるって感じなんです。自分の味方でいてあげるって感じなんです。だって、自分以外の人が「出来なかった」と落ち込んでたら、「そんなのたまたまだよ」みたいな事言ってあげると思いませんか?だから、自分にも同じ様に接してあげればいいんじゃないかと思うんです。
あと開き直るに関してもう1つ。ちょっと慣れてきたら、「今日はわざと出来ない様にしてやった」と言う感じに強気にいくってのもアリです。でも、これはちょっと高等技術なので、まずは自分に優しくしてあげるって所からスタートした方がいいとは思いますが、ちょっと参考までに(笑)。
まとめ
結構頑張っているのに、結果を出す事が出来なかったり、最後まで達成出来なかったりしたら、悔しいですよね。でもね、常に結果が出せる事もないですし、常に予定通りに事が進むって事もないんです。これは、あなただけじゃないくて、誰の身にも起こる事なんです。
だからと言う訳じゃないですが、ちょっとぐらい「出来なかった」日があったっていいんじゃないでしょうか。そして、「出来なかったんだからしょうがない」ぐらいに開き直ってもいいんじゃないでしょうか。
これは諦めるとか言う事ではなくて、自分にちょっと優しくしてもいいんじゃない?って感じの事です。そして、たとえ「出来なかった」としても自分の事は責めすぎない方がいいんじゃないかと僕は思うんです。要は、自分の事はもっと大事にしてもいいんじゃないかな?って風に思うんです。
ゆーすけ
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