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どーも、ゆーすけです。
皆さんは「手抜き」って言葉にどんなイメージを持っていますか?なんか物事をぞんざいにやるとか、投げやりにやるとかって感じで、あまりいい印象を持っていないんじゃないかと思います。
まぁ確かにそうかもしれません。手を抜いたって言われるよりは、一生懸命やったって言われた方が、聞いていてもなんか嬉しい気がします。
でもだからと言って、常に一生懸命やってるから良いって訳でもないですし、手を抜いたから悪いって訳でもないとは思うんです。で、「手抜き」と一概に言っても、「良い手抜き」と「悪い手抜き」ってのがあると思うんです。
「悪い手抜き」ってのは、上にあげた「物事を雑に扱う」って感じが当てはまるんじゃないかと思います。その一方、「良い手抜き」ってのは、「物事を楽にやるとか、簡単にやる」ってのが近いのかな?って思います。
そして、この良い方の「手抜き」に関しては、遠慮なんかしないで、どんどんやっていっていいんじゃないかと思います。てか、基本的には常に一生懸命でなくてもいいんじゃないかと思うんです。
もくじ
「手抜き」=「質の低下」ではない
まず、この「手抜き」って考え方を認められない人の多くが、完璧主義に近いものを抱えているんじゃないかと思います。出来れば誰だって、物事をやる上では、質の良いものを作りたいと思っていたり、質が良い事をやりたいと思っているとは思います。それはそうなんですが、一生懸命やって手を抜かなかったから、質が良くなるかといったら必ずしもそうでもないと思うんです。
逆に一生懸命やり過ぎて、燃え尽きてしまったり、そこまでいかないにしても途中で疲れてしまって、中途半端なものになってしまうなんて事も無きにしも非ずなんじゃないかと思います。
そんな風に一生懸命やって手を抜いる訳じゃないのに結果として質が下がってしまったとしたら、ちょっと悲しい感じがしませんか?
そして、手を抜いたとしても質が下がらないのであればそっちの方がいいと思いませんか?
僕は、やり方によっては、質を落とさず手を抜く事は可能なんじゃなかと思います。だから常に完璧にやろうと躍起にならなくてもいいんじゃないでしょうか。まぁ少しぐらい手を抜いたっていいと思うんです。て言うか、手を抜いちゃった方がいいと思うんです(これは良い意味での「手抜き」ですよ)。だって手抜きが必ず質の低下につながるってもんでもないんですから。
自分1人で抱え込まないってのが大事
手を抜け、手を抜けって言うけれど、じゃあどんな風に手を抜けばいいのでしょう。1つの方法として出来る事は、全ての事を自分で抱え込もうとしないって事なんじゃないかと思います。確かに自分1人で全てをやってしまった方が、自分のの思い通りに出来るし、自分がやるのが1番早いし、高い質のものが出来る様な気がします。
でも、ここに1つ落とし穴があります。確かに初めのうちはそうかもしれません。しかし、だんだん1つのものが得意になってくると、その得意なもの自体もたくさんやらなきゃいけなくなるし、時によってはその得意なもの以外の事もやらなきゃいけなくなってくる場合があるんです。
そうするととても自分1人の手には負えなくなってきます。でも、そこを乗り越えようと必死になって頑張ってはみるものの、だんだん追いつかなくなってきます。これに似た様な事は上にも書きましたが、そうなってくると結局、自分の思った様な質を維持する事が出来なくなってきます。
だからと言う訳ではないですが、もうね、人に任せてしまうって言うのも考えた方がいいんじゃないかと思うんです。自分が得意と思っているものこそ誰か他の人に任せてしまえばいいんじゃないかと思うんです。
そうする事で自分に余裕が出来ます。時間的にも精神的にも余裕が出来ます。やっぱりね、質の良いものを維持するためには自分のキャパをパンパンにしてしまってはダメだと思うんです。自分がギリギリの中でやっていると、好きだったものも嫌いになってしまうと思うんです。
だから、適度に人を頼って手を抜くってアリなんじゃないかと思うんです。
自分がやっている事を他の人にやってもらうと言うのは、自分の知り合いに頼むと言うだけではなく、お金を払って外注するってのも考えてみてもいいんじゃないかと思います。これは、自分の予算との相談にはなるとは思いますが、時には、自分がやった場合よりも質が高くなる事もあります。
だからと言う訳ではないですが、やっぱり自分が無理をしないで、ちょっと手を抜いたからって質が必ずしも下がるとは限らないんです。
それでも、ちょっと全部を人任せにする(そこにお金が絡んでいようがいまいが)ってのは嫌だなぁって人も中にはいるかもしれません。そんな時は、自分でもやりつつ、誰かに手伝ってもらうってのがいいんじゃないでしょうか。
僕も、自分が家事をやる時は、なんだかんだ理由をつけて子供達に手伝ってもらいます。基本的には、彼らに家事を覚えて欲しいってのもありますが、半分ぐらいは自分が楽したいって気持ちも正直あります。で、まぁついでにそこで親子のコミュニケーションなんかも発生したりして、僕の中では一石三鳥なのではないかと思っています(笑)。基本的に家事なんて毎日の事なんで、常に完璧なんかには出来ないし、質なんかそこまで求める必要もないので、いかに手を抜きつつ続けていくかってのを考えるのが大事な事なんじゃないかと勝手に思ってます。
まぁ簡単にまとめると、どんなことでも、一生懸命やろうと自分1人で抱えて辛くなるよりかは、誰かに頼んじゃってみんながハッピーな方がいいんでないの?って事なんじゃないかと思います。
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一生懸命やったからって心がこもっている訳じゃない
あと、ちょっと話は変わるかもしれませんが、一生懸命やった方がそこには心がこもってるって誤解が世の中にはある様な気がします。確かに「手抜き」って音の響きよりも「一生懸命」って音の響きの方が気持ちが入ってるってイメージはあります。でも、実際に本当にそうなんでしょうか?例えば、誰かに任せてやってもらったら、そこに気持ちはこもっていないのでしょうか?お金を払って外注したら、そこに愛情はないのでしょうか?
もうそうなってしまったら、例えば誕生日ケーキは必ず手作りじゃないといけないし、誕生日プレゼントも必ず手作りじゃなきゃダメだって感じになってしまうと思うんです。でも、実際はそんな事ないですよね。買ってきたケーキにだって思いはこもっているし、買ってきたプレゼントにだって気持ちはこもってますよね。
だから、それと同じ様な感じで、一生懸命に全てを自分でやらなくたって、気持ちが入ってなかったり、愛情がこもってなかったりする事なんてないんです。一生懸命やろうが、手抜きであろうが、気持ちがこもってないものはこもってないし、気持ちが入っているものは入っているんです。
確かに、一生懸命やった方が気持ちがこもってる気がします。でも、それは受け取る側の気持ちではなくて、与える側のエゴの様な気がしないでもないんです。要は、気持ちさえこもっていれば、過程にこだわる必要はないんじゃないかって事です。
まとめ
確かにいろんな事を一生懸命やる事は大切です。それは否定はしません。でも、だからと言って、無理してまで頑張る必要はないんじゃないかと思います。仕事だって、家事だってみんな一所懸命やってます。でも、時には、疲れちゃう事もあると思うんです。
仕事とか、家事とかを、ながーくながーく続けていくには、いろんなものを利用しながら手を抜いていくって事も時には必要なんじゃないかと思います。そこに罪悪感を感じる必要はないです。だって、やらないって選択肢は選んでないんですから。ちょっと手を抜いたからって、気持ちを込めてないなんて思わなくていいです。だって、気持ちがなかったらやる訳ないんですから。まぁ無理はしなくていいって事です。それでもやらなきゃいけない時ってのは、誰にでもあります。そんな時は手抜きでいいんです。テキトーでいいんです。
ゆーすけ
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