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どーも、ゆーすけです。
世の中にはいろんな情報があふれていますよね。しかもインターネットの発達に伴って、あらゆる情報が簡単に手に入る様になりましたよね。
で、たった1つの事を調べようとしてるだけなのに、それに対してものすごい数の情報が出てきてどれが本当なのかわからない、なんて事ありませんか?同じ様な事を言っているものもあれば、反対の事を言っているものもあるし。本当に困っちゃいますよね。
そんな時皆さんはどうやって、その情報が正しいかを見極めていますか?おそらくその情報に根拠(もしくはエビデンス)があるのかどうか、その根拠にどれくらい信憑性があるのかどうか、なんかで判断しているのではないでしょうか?
確かに、根拠はあった方がいいです。でもね、根拠があったからってそれが絶対に正しいとも限らないんです。
もくじ
根拠は後からどうとでも付けられる
まず、これはちょっと不思議に思うかもしれませんが、根拠ってのは、後から付けようと思えばどうとでも付けられるのです。自分の都合でどうとでも出来なくもないのです。
例えば、「Aと言う食べ物を食べたら体重が減った」と言う事があったとしましょう。まぁそう言う事が現実にあるかどうかは一旦置いておいて、そう言う事があったとしましょう。
そして、それをもっともらしく説明するために色々調べていたら、Aの中には体脂肪を減らす効果のある可能性があるBと言う物質が含まれていた、と言う事がわかったとしましょう。で、その時の結論としては、Bが含まれているから、Aは体重を減らす効果があるかもしれない、と言う事が言えるかもしれません。
で、これだけ聞くと、「Aが体重を減らす効果がある」事の根拠は、「Bが含まれているから」って事になりますよね。そして、それならAを食べてみようかなって気にもなりますよね。でも、実際の理由は、Aは腸の粘膜にダメージを与えやすくて、食べ物の消化吸収が出来なくなるから体重が減るって事だったらどうでしょう?例え、Bが含まれていて体脂肪が燃焼される効果が期待されていたとしても、食べようとは思わないんじゃないでしょうか?
まぁこれを調べていた人たちが、たまたまAが腸にダメージを与えるって事を知らなかったのか、わざと隠していたのかはわかりませんが、こんな感じで自分たちの都合の良い根拠なんて探そうと思えばいくらでも探せるのです。そして、自分たちに都合の悪い根拠なんか隠そうと思えばいくらでも隠せるのです。
だからと言って根拠ってのはなくていいとか、根拠なんて大事じゃないって事が言いたいのではなくて、確かに根拠はあった方がいいし、根拠があるってのはとても大事な事です。でも、ただ根拠があるってだけでなんでもかんでも信用はしない方がいいんじゃないかと思うんです。繰り返しになりますが、自分の考えを肯定するための根拠なんてどうにでも出来るからです。
質が高い根拠だから正しい訳でもない
じゃあ、その根拠の信ぴょう性を確認すればいいんじゃない?って意見も出てくると思います。まぁ確かにそうなんです。質の高い根拠であれば、正しい確率は高くなると思うんです。でも、実際はこれに関しても一概にそうとも言えないんです。
例えば、「テレビに出ている有名人が言っていた」と「ある大学教授が言っていた」を比較してみましょう。なんとなく大学教授が言ってる方が正しい気がしますよね。でも、その大学教授が全くの専門外だった場合どうでしょう?その根拠の信ぴょう性はほぼ同じになるんじゃないでしょうか?でも、その大学教授が専門家かどうかなんて、どうにでも言えると思うんです。例えその分野に関わった事が短期間であったとしても、その分野に関わったと言う事実があれば、専門家と言ってしまっても他の人にはわかりません。逆にテレビに出ている有名人の方がそのもの自体に詳しい場合だってあるかもしれません。もうこればっかりはなんとも言えません。
それでは、数の場合はどうでしょう?自分の主張をサポートする根拠が1つの場合と99個ある場合だったらどう思いますか?99個の方が正しそうですよね。たぶんそう言う確率が高いでしょう。でも、その1つの根拠をノーベル賞を取った人が言っていたとしたらどうでしょう?たった1つでも信用出来そうな気がしませんか?そして、99個の場合だって、もしその裏に999個の反対意見があったらどうでしょう?
もう、ここまで読んできて、なんかこんがらがってきましたよね。すみません。でもね、その根拠の質ってのも簡単に信じてはいけないような気がするんです。権威だとか、数だとかって、説得力が増すのは確かなんです。でも、本当にそれが根拠の質を証明しているかって言ったらそうでもない時も多いんです。
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断言する人・断言しているものは、結構危険
でも、そんな事言われても実際は困っちゃいますよね。自分の専門以外の事だったら、何かしらの情報を信用するしかないですもんね。根拠自体が信用出来ず、質が高そうな根拠でさえも信用出来なかったらどうしたらいいのでしょう?
まぁこれは絶対ではないですが、なんとなく僕の経験から言って、断言する人や断言しているものはちょっと避けた方がいいかもしれません。
断言している人ってのは、基本的に自分が正しいと思っています。だから、自分が信じているものが絶対です。そして、なぜ正しいと思っているかと言うと、自分の信念をサポートする根拠を絶対的に信じているからです。だから、絶対に相手の事を許しません。自分の正義で徹底的に相手を打ちのめします。で、さらに悪い事にこの手の人は例え自分が間違っていてもそれも認めません。またそれを反論する為の違う根拠を持ってきます。で、多くの場合(絶対ではないですが)、自分に都合の良い根拠を利用して人を自分の都合の良い方へ導こうとします。

そして、断言しているものってのは、わかりやすいフレーズであったり、簡単な言い回しであったりする事が多く、そう言うものに人は飛びつきやすいので、悪意に使われる事が多いです。簡単に言うとデマと言われるものには、断言しているものが多いです(これも絶対とは言いませんが)。基本的には、世の中に簡単に上手くいく事なんかほとんどないですし、分かりやすい一言で全てが解決してしまう事もあまりありません。
僕の感覚からいくと、本当に自分の専門を本格的に追求している人は、自分が知らない事が見え過ぎて、恐れ多くて断言する事はほとんどないんじゃないかと思います。そして、あまりに曖昧な感じなもんだから、逆に信用されていないような感じがします。でも、もしかしたら、実際はそう言う人の言う事が1番信用出来たりするんじゃないかと僕は思っていたりします。
まとめ
今の世の中ものすごい数の情報が溢れています。でも、その情報全てが正しい訳ではないのも事実です。出来れば間違ってない、出来るだけ正しい情報を手に入れたいですよね。その為の助けになるのが根拠です。それは間違いないです。
でも、その根拠すら、これだけ情報が多かったら、怪しいです。だから、根拠があるからってなんでもかんでも信じない方がいいと思うんです。信用出来そうな根拠だから大丈夫ってすぐに安心しない方がいいと思うんです。
じゃあどうしたらいいのでしょう?もうそれは、とにかく自分で考えるしかないです。自分の頭を使って、自分の手を動かして、その情報が正しいのかどうかを自分で判断していくしかないんだと思います。そんなに簡単ではないです。でも、それを怠ったら簡単に騙されます。情報なんてそんなもんです。場合によってはいいように使われます。
根拠は正しい情報には必要です。でも、人を騙す人も根拠を使います。根拠には気をつけた方がいいです。
ゆーすけ
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