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どーも、ゆーすけです。
皆さんは自分の分野で1流を目指していますか?なれるか、なれないかは別としておそらくほとんどの人が自分の分野では1流になりたいとは思っているんじゃないかと思います。
確かに1流を目指すって大事な事だと思います。どうせやるならその分野に第一人者になった方がいいですもんね。世の中には1流・2流・3流の比較なんかが溢れています。そう言うものを見ていると、1流ってやっぱり魅力的なんです。かっこいいんです。そして、1流になって、その様に振る舞いたいって思わされちゃうんです。
でもね、例え実際に自分が自分の分野で1流になれたとしても、僕は気持ち的には永遠に2流でいる方がいいと思うんです。超1流の2流として振る舞うのがいいんじゃないかと思うんです。
もくじ
1流になったらもう目指すものがなくなってしまう
まず、当たり前かもしれませんが、1流ってのは簡単に言えばその分野における頂点です。そこに到達してしまったら、もう上がありません。後はそこを維持していくだけになります。それって実は結構辛いんです。
目標がない中で、今の状況を維持していくってなかなかできるもんじゃないです。だって自分がどうやって伸びていったらいいかがわかりにくいからです。だから、相当自分に厳しくなければならなくなります。
確かに、周りと比較しないで過去の自分と向き合っていれば、そんな事は問題じゃないって意見も出てくるかとは思います。でも、それは過去の自分なので、今の自分より上って事はないはずです。なので、何かしら自分が目指す目標に関しては、外に探すほかないんじゃないかと思うんです。
そう言う意味でも、自分は1流になったと思ってはいけない様な気がするんです。たぶんそう思ってしまった時点で、成長は止まってしまうんじゃないかと思うんです。
で、もう1つ1流になってしまった事で辛くなるのは、そこから落ちたくなくなってしまうって事です。1回でも頂点を見てしまうと、自分の現状を下のレベルに落とす事ってなかなか出来ません。
まぁこれは1流だけの話でなく、2流でも3流でも下のレベルに落ちるのはあまり嬉しくはないとは思いますが、特に自分を1流として誇り高く思っている時はその落差がきつく感じるんじゃないかと思います。そして、そんな事でストレスを感じてしまうのもどうかと思うんです。だからそこまでプレッシャーを感じない為にも自分は1流だとは思わない方がいいのではないのかなとも思います。
ちょっと例えは違うかもしれませんが、これは「ある程度の収入があった時に生活レベルをあげてしまうと、収入が落ちた時に生活レベルを下げるのが難しい」ってのに近いのかもしれません。
まぁ簡単に言うと、調子に乗らずに常に謙虚でいた方がいいって事です。それを僕は、例え1流であっても2流の気持ちでいるといいって感じで伝えたかったんです。
「2流=1流より下」って訳ではない
そして、ここで誤解して欲しくないのは、1流・2流・3流と番号が付いているからといって、2流や3流が1流の下って言う風に捉えなくていいって事です。1流が全てにおいて優れている訳でもありません。2流には2流の、3流には3流の良い所があります。例えば、チームで動いている時なんかそうです。
例えば、野球で試合に出ている9人全員が4番バッターである必要があるでしょうか?サッカーで11人全員がエースストライカーだったら試合に勝てるでしょうか?まぁ確かにその手の人はどのポジションをやっても上手くこなしそうなので、予想に反して意外と上手くいっちゃう場合もあるかもしれません(笑)。でも、おそらくほとんどの場合は、みんな目立ちたがって、いがみ合いが起こり、チームとして機能しなくなるのではないでしょうか。
だからね、全員が全員1流である必要もないんです。1流の人を影で支えるサポートメンバーの存在も絶対に必要なんです。まぁ、そのサポートメンバーが2流なのかって言われたら、もしかしたらサポートの1流なのかもしれません。でも、サポートされる側の人の分野ではもしかしたら、1流にはなりきれてない人なのかもしれません。まぁとにかく、簡単に言うといろんな人が必要って事です。
だから、例え自分がその場所でのエースストライカーや4番バッターでなくても落ち込まない事です。結果として、みんなで勝利を分かち合えば良い訳なんです。そんな風に1流のエースストライカーや4番バッターになろうとばかりしないで、自分の適所を見つけていけばいいんだと思います。そして、可能ならその場所で1流になればいいんだと思います。でも、上でも言った様に自分はサポートの1流だと調子には乗らないでいればいいんだと思います。そして、自分は超1流の2流だと思っていればいいんじゃないかと思ます。
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3流って言うほど自分を卑下する必要はない
でも、だからと言って「自分は3流です」なんて、自分を卑下する必要もないんじゃないかとおもいます。やっぱり、自分がやっている事には、ある程度の自信と誇りは持っていた方がいいと思うんです。
もしこれが謙遜なのだとしたら、謙遜し過ぎるのはあまりオススメはしません。謙遜で誰かの機嫌を取れる可能性は限りなく低いからです。
で、あまりに何度も「自分は3流だ」と言っていると、周りから自信がない様にも取られてしまいます。自分を必要以上に低く見積もる必要もないですし、自分を悪く言う必要も全くないと思います。自分の実力は正当に評価した方がいいんじゃないかと思います。
そして、人生ってのは意外と自分が思った様に流れていくもんなんです。だから、「自分は3流だ」と思い続けて(もしくは言い続けて)いると、だんだんと3流っぽい振る舞いになっていってしまいます。それはやっぱり避けた方がいいと思うんです。
僕はこれまで、「自分は1流とは思わない方がいい」と何度も言ってきましたが、「1流を目指さない方がいい」とは決して思っている訳ではありません。やはり、1流には近づいていった方がいいのは確かだと思います。そして、1流に近づいていくためにはその近くにいる必要があります。そう言う意味では、3流と言うのはちょっと1流とはかけ離れ過ぎてるんじゃないかと思うんです。だから、僕は2流がちょうどいいんじゃないかと思うんです。
あまり調子に乗らずに、でもあまりに自分を低く見積もりもせず、自分は2流なんだって思っているのがやはりいいのではないかと思うんです。
まとめ
まぁここで言いたかったのは、1流が悪くて2流が良いって事ではなくて、「1流を目指しそこに到達する為の努力をする事は大切だけど、自分は2流だから常に1流を目指しているって言う気持ちを持っていた方がいいよ」って感じの事です。要は気持ちの持ち様です。
調子に乗り過ぎず、自分を卑下し過ぎずって考えると2流って言葉がなんとなく僕にはしっくりきたんです。
でも、例え自分の事は永遠に2流と思っていた方がいいとは言え、自分を卑下してそう思うって事はしない方がいいとも思っています。自分のやっている事にはしっかり自信を持って、常に誇りを持っていた方がいいと思うんです。だから、「超1流の2流」ってのがいいと思うんです。
ゆーすけ
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