お仕事

結果を出すためには舞台に立ち続ける方がいい3つの理由

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どーも、ゆーすけです。

よく「あまり結果は気にせず目の前にあることを精一杯やればいい」なんて言葉をよく聞きますが、そうは言っても結果って欲しくないですか?特に何かに挑戦している時ほど結果が欲しくなったりしませんか?何を隠そう僕もそうです(笑)。

でも結果ってなかなか簡単には出ないんです。それなりの努力も必要だし、時間もかかるってのもわかるんですが、すぐに結果が欲しくなってしまう。人間ってなんて強欲な生き物なんでしょう(笑)。

何事もうまく行き始めるまでは時間がかかる(だから諦めるな!)どーも、ゆーすけです。 何か新しいことを始める時ってすごくワクワクしますよね。そして始めたばっかりの頃ってやる気も満々で、全てが上...

まぁとは言ってもこれまで結構長く生きてきたので、全く結果が出てこなかった訳ではありません。僕なりに結果を出せるように努力してきた部分はあります。ここでは、それらについてちょっと振り返ってみたいと思います。

舞台に立たない限りは何も起きない

僕は昔サッカー少年でした。これは中学生の時に初めて東京都の選抜チームに選ばれた時の話です。

「ゆーすけ」って一体何者?どーも、ゆーすけです。 ここでは僕の簡単な自己紹介でもしてみようと思います。 経歴 高校生まではサッカー少年でした。一応それな...

まず初めの段階で東京都の中でそこそこサッカーが上手い子に声がかかりセレクションが始まりました。初回のセレクションではおそらく100−200人ぐらいが呼ばれていたように記憶しています。そこから5−6回のセレクションを経て最終的に15−16人が東京都の代表として選ばれたのです。

僕を推薦してくれた人の手違いだったのかもしれませんが、僕は当時フォワードしかやったことがなかったのに、そのセレクションではディフェンスで登録されていました。そして、周りは無茶苦茶上手い子ばっかりで、ポジションもいつもやっている場所とは違っていたので、毎回セレクションが終わるたびに「次はないな」と思いながら帰宅していました。

しかし、なぜだか全くわかりませんが毎回セレクションに呼ばれ続け、とうとう選抜チームに選ばれてしまったのです。と、言ってもやはり不慣れなポジションでもあったので、スタメンという訳にはいかず交代要員でしたが、それはそれは嬉しかったのを覚えています。

で、これは後から聞いた話なのですが、実は最終選考の時に僕より断然上手かった選手の何人かが現れなかったらしいのです。しかも、その子たちと後から友達になって聞いた話によると、その最終選考の日に彼らはゲームセンターで遊んでいて、最終選考に間に合わなかったのだそうです。

まぁおそらくその子たちがセレクションに現れていたら僕が選ばれるということはなかったのかもしれませんが、もう今となってはわかりません。結局その場にいた僕が選ばれたという訳です。

ここで学んだことは、舞台に立ってさえいれば何か起きる可能性はあるが、そこに立たない限りは何も起きることはないということです。だから、チャンスが訪れたならなんとかしてそこにいなくちゃいけないんだと思います。

舞台に立ち続ければそのうち上手になる

ここでガラッと話は変わりますが、僕は今現在アメリカで研究者をしています。そんな仕事をしているので、自分の研究成果を英語で論文にする必要があります。今でこそ英語が母国語のアメリカ人が書いた原稿の添削なんかもできるまでにはなりましたが、渡米したばかりの頃はそれはそれはひどいもんでした。英語なんてほとんどできませんでした。

ロスト・イン・トランスレーションどーも、ゆーすけです。 生まれも育ちも日本です。33歳の時に医者を辞め、アメリカにある研究室で研究者の卵であるポスドク(こちら)を...

初めてアメリカに来てから書いた英語の論文の草稿なんて原型がなくなってるんじゃないぐらい赤ペンで添削されました。もうそれはそれは悔しくて、なんとか英語が書けるようになりたかったので、ボスに降りかかって来た依頼原稿全ての草稿を書かせてもらうことにしたのです。基本的に研究者にとって依頼原稿はいくら書いても業績としては認められないと言われているので、ボス的にはあんまり書きたくはなかったらしいのですが、僕のために片っ端から引き受けてくれました。

そして、僕はボスだけの英語の癖がつかないように研究室にいるアメリカ人たちを捕まえては英語の添削を頼むようになりました。その中の1人とは親友にもなりました(下のお話もよければ読んでみてください)。

親友を失った日どーも、ゆーすけです。 僕には親友がいました。アメリカに来てからできたアメリカ人の親友でした。と言っても60歳ぐらいのおばちゃんで...

そんな感じで自分の研究論文に加えて、年に1−2本の依頼原稿を英語の書き方を学びながら書きまくったので、なんとか英語の書く技術も向上していった気がします。まだまだスペルミスもしますし、使っている語彙などは英語ネイティブにはかないませんが、文章を英語で構成する力はそれなりについたと思います。そして、ただ単に英語を書く練習をするのではなく、このように論文にするという本番で鍛えられたのがよかったんじゃないかなと思っています。

とにかく本番の舞台に立つってことを続けていれば、どんなことでもいずれ上達してくるのではないでしょうか?僕も自分の教え子たちにも同じようにしてあげたいと、依頼原稿が来たら一緒に書きたいかどうかを聞くのですが、彼らは業績にならない無駄なことはあまりやりたくないらしく結構な割合で断られます。でも、僕は自分の実力をキープしたいので、彼らが断った依頼原稿を結局自分1人で引き受けて未だに書き続けています。まぁこればっかりは強制できることでもないのでしょうがないと思っていますが、内心は「チャンスをみすみす無駄にしてもったいないなぁ」と思っています。

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舞台に立つ回数を増やして確率を上げる

そして研究者としてのもう一つの大事な仕事に研究費の獲得があります。まぁ世知辛い話ですが、お金がないことには研究はできません。そして、今のご時世研究費の獲得は競争が激化していて非常に困難になっています。

リジェクトを乗り越えるために知っておいた方が良い4つの事どーも、ゆーすけです。 アメリカの片田舎の大学で研究者をしています。こんな仕事をしているとあらゆる場面でリジェクトを食らいます。そ...

そして、研究費は何もしなくても勝手にやってくるものではなく、申請書を国や研究財団に応募してそれが選ばれて初めてもらえるというものなのです。

まぁ僕はそこまで実力もないですし、簡単に研究費が獲得できるとも思っていないので、当選の確率を上げるべく自分の研究に関わりそうな募集に片っ端から応募します。だから年に15−20ぐらいの申請書を投稿します。それでも研究費を獲得できる申請書はそのうちの5%ぐらいで残りの95%は全ての労力がパーになります。でも僕は自分の生き残りをかけてその95%も無駄と思わず頑張っています。

そして、5%と確率はあまり高くないですが、それなりに研究費を獲得しているので、周りの同僚からは羨ましがられたりします。でも、あまり研究費を獲得できていない同僚の話をよくよく聞いてみると、彼らは年に1−2個ぐらいしか申請書を書いていないらしいのです。まぁそれじゃあ当選の確率は上がらないだろうなとは思いますが、それは彼らのやり方なので僕にはどうしようもありません。

まぁやはり数打ちゃ当たるじゃないですが、たくさんの舞台に立つってことも結果を出すためには必要なんじゃないかと思います。

まとめ

まぁこんな感じで、僕は結果を出すために努力はしています。世の中のスーパースターと違ってちょっとやったらさらっと結果が出せるような人間ではないので、地道に挑み続けてチャンスの回数を増やしているという感じです。僕のこれまでの経験からの印象では、チャンスってのはそこらへんに転がっていたり、どっかから勝手にやってくるというものではなく、自分で作り出すものなんじゃないかなって感じに思っています。

とにかく舞台に立たない限りは何も始まらないので、「目の前に現れた舞台にはとりあえず立ってみる」ってところから始めてみるのがいいのではないでしょうか?そうしていればいずれ結果はついてくるような気がしています。

ゆーすけ

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ABOUT ME
ゆーすけ
アメリカ在住のがんの研究してる人です。自分の経験を元にした「よりよく生きるためのヒント」を発信し、読む人の心を少しでも軽くすることを目指しています。
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