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親友を失った日

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どーも、ゆーすけです。

僕には親友がいました。アメリカに来てからできたアメリカ人の親友でした。と言っても60歳ぐらいのおばちゃんです。この人がいなかったら、今の僕はいないぐらい僕の人生に大きな影響を与えてくれた人でした。

でも、残念ながらその人はもうこの世にはいません。4年前の今日がその人の命日です。今でも毎日のようにその人のことは思い出しますし、今でも会って話をしたいと思います。それぐらい大事な人でした。

その人は突然やって来た

その人は僕が前にいた大学のデパートメンントに30年ぐらいいた長老級のテクニシャンでした。初め僕がそのデパートメントに来た時は違う研究室で働いていてあまり接触はなかったのですが、デパートメントのお母さんということで時々事務手続きなどの質問をしたりしていました。その時の印象は「この人お節介でちょっとめんどくさいなぁ」という感じでした。

そして、僕がそのデパートメントに所属して3年目ぐらいの時にうちの研究室に突然移って来たのです。その時のボスはその人を僕専属のテクニシャンに任命したのです。その当時僕はポスドクに毛が生えた程度のペーペーだったので、そんな長老が自分の下につくことになって「やりにくそうだなぁ」と思ったのを覚えています。

で、実際にうちの研究室に来てみたら、めんどくさいどころか、もうなんでも知ってるし、なんでも手伝ってくれるし、この人なしでは仕事ができないぐらい面倒見がいい気のいいおばちゃんだったのです。

ちなみに、ちょうどその頃僕は独立して自分の研究室を持とうと他の大学を受け始めた頃でした。だからと言う訳ではないですが、この人に実験だけでなく、履歴書の書き方やら、インタビューの練習やら、食事中の会話の練習やらも手伝ってもらっていたのです。ついでに英語の文章なんかも添削してもらっていました。

インタビュー、インタビュー、それからまたインタビューどーも、ゆーすけです。 アメリカの片田舎にある小さな大学で研究者をやってます。それと同時に一応大学の先生でもあります。渡米した時は...

もうこの頃にはこの人は親友というよりは僕の人生に師匠になっていました。僕の今の研究の仕方、英語の書き方、人との接し方などはこの人から教わったようなものです。

なんとか今の仕事に就くことができたのは本当に彼女があの時僕がいた研究室に来てくれたおかげだと思っています。本当にこの人には感謝しかありません。

家族ぐるみで大事にしてくれた

まぁ気のいいおばちゃんだったので、仕事以外での付き合いにもいろいろと誘ってくれました。特にうちの子供たちをとても可愛がってくれました。なぜだかわかりませんが、彼女はうちの子供たちの写真を自分のデスクに飾ってくれていました。そして、うちの息子が字を書けるようになったと知るとうちの息子と文通をしてくれたり、うちの子供たちが本を好きだと知るとわざわざうちの子供たちのために子供向けの雑誌を購読してくれたりと本当に我が子たちを自分の子供のように可愛がってくれました。

さらには、僕がポスドクだった頃は我が家はとても貧乏だったので、「夏休みにお金がなくてどこにも行けない」と軽く愚痴をこぼしたら、その人が持っている別荘を1週間ぐらい無料で貸してくれたりもしたのです。

もうね、数え上げたらきりがないぐらい僕も僕の家族も大事にしてくれました。こんな人に出会えて僕は本当に幸せだったと思っています。

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それはあっという間だった

そして、一緒に働き出して2−3年が経った頃、彼女が「そろそろ引退する」と言い始めます。「まだまだ習いたいこともたくさんあるのにまだ早いよ」なんて思っていたら、今度は僕の次の仕事が決まります。僕が次の職場のオファーをもらった数ヶ月後に彼女が研究室を去り、その数ヶ月後に今度は僕がそこを去ることになりました。なんか運命で決められていたかのような流れでした。

まぁでもその後も交流は続けていて、実は僕は新しい施設に行ってもその人とは月に一回はスカイプをしていて研究室の立ち上げに関する悩みを相談したりしていました。

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新しい施設に移って半年ぐらいが経ってだいぶ落ち着いて来た頃、定期スカイプミーティングを彼女が急に体調不良でキャンセルして来たのです。そこからはあっという間でした。

彼女はリュウマチを抱えていていろんな薬を飲んでいました。後から聞いた話ですが、その頃新しいハーブ系のサプリメントを飲み始めたらしいのです。どうやらそれが体に合わなかったらしく、それの影響で重症の肝炎を起こしたみたいでした。

その後もちょこちょこメールのやり取りはしていましたが、ある時期からパタリと返事がこなくなりました。そして、その数日後に朝の通勤で車の運転をしていた時に彼女の旦那さんから電話が入り、彼女が意識不明で入院したことを知ります。

毎日のように祈りました。

その旦那さんはとても丁寧な人で彼女の仲良しだった人たちに毎日のように彼女の病院での様子をメールで知らせてくれていました。メールの内容は日に日に悪くなっていきました。2−3週間が経った頃、「彼女が天国に旅立った」と最後のメールが来ました。それが4年前の今日だったのです。

本当にあっという間でした。ついこの前まで元気だった人でもあっという間にいなくなってしまうんだなぁということを痛いほど思い知らされました。もしかしたらこの出来事は「もう私からは独立して、自分の足で歩きなさい」という彼女からのメッセージだったのかなぁなんて今では思っています。

まとめ

彼女は僕にとっては親友だったし、師匠だったし、戦友だったし、アメリカのお母さんでした。僕の人生に現れたタイミングと僕の人生からいなくなってタイミングを考えると、僕を今の職場に送り込むために現れたとしか考えられません。本当は僕が成長した姿を見せたいのですが、もうそれも叶わぬ夢となってしまいました。時々あの辛かった時に彼女がいたらなんて言ってってくれたのかなぁ?なんてことも考える時もありますがそれももう叶いません。

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とにかく今できることは、彼女がどこかで見てくれていることを信じて、彼女が送り込んでくれたこの場所で精一杯頑張ることだと思っています。

そして、最後に彼女にこの言葉を捧げたいと思います。

僕は今でも頑張っているよ!だから心配しないで今は安らかに眠ってください!いつかまた一緒に話せる日が来ることを心から楽しみにしているよ!

あー本当に会いたいなぁ。

ゆーすけ

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ゆーすけ
アメリカ在住のがんの研究してる人です。自分の経験を元にした「よりよく生きるためのヒント」を発信し、読む人の心を少しでも軽くすることを目指しています。
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