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親友を失った日

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どーも、ゆーすけです。

突然ですが皆さんは、親友っていますか?まぁ誰にでもそんな人の1人や2人はいたりするんじゃないかと思います。そう言う人と、常に一緒にいるかどうかは別として、親友ってものが存在しているって意外と自分の心の支えになったりしますよね。もちろん僕にも親友って呼べる様な人は数人います。その中でもちょっと特別な人がいました。その人は、アメリカにきてから出来たアメリカ人の親友でした。と言っても、その当時60歳ぐらいだったおばちゃんです。この人がいなかったら、今の僕はいないんじゃないかぐらいに僕の人生に大きな影響を与えてくれた人でした

自分には親友に接する様に接するどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、自分に対して厳しくし過ぎちゃったりしてませんか?まぁ甘くするよりは厳しくしといた方がい...

でもね、残念ながらその人はもうこの世にはいません。これを書いている日(2月4日)がその人の命日なんです。今でも毎日の様にその人の事は思い出しますし、今でも会って話をしたいなぁとは思ったりします。それぐらい大事な人でした。まぁでもこればっかりはどうしようもありません。でも、僕は、今でもその人の事は親友だと思って生きています。そして、その人に恥じる事がない様に毎日を生きているつもりです。

付き合う人は人生のステージで変わるどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、自分の付き合う人が変わっていくのって悲しいなって思ったりしませんか?昔もの凄く仲が良か...

ここでは、ちょっとおセンチかもしれませんが、その僕の親友との思い出を簡単に振り返ってみたいと思います。あまり面白い話じゃないかもしれませんが、ちょっとお付き合い下さい。

その人は突然やってきた

その人は、僕が前にいた大学のデパートメントに30年ぐらい在籍している長老級のリサーチ・テクニシャンの人だったんです。僕が、そのデパートメントで働き始めた時には、僕とその人はそれぞれ違う研究室で働いていたのであまり接触はありませんでした。でも、デパートメントのお母さんと周りから紹介されていたので、時々事務手続きなどの質問をその人にしてたりしました。その時の正直な感想は「この人お節介でちょっとめんどくさいなぁ」と言う感じのものでした(笑)

お節介な人はいるどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、周りにどう言う訳だか頼んでる訳ではないのになんかいろいろやってくれる人っていたりしませ...

そして、僕がそのデパートメントに所属して3年目ぐらい経った時に、その人が急にうちの研究室に移籍してきたんです。で、その時の僕のボスは、その人を僕専属のテクニシャンに任命してしまったのです。その当時僕は、まだまだ研究の経験も浅く、かなりのペーペーだったので、そんな長老が自分の下につく事になって「やりにくそうだなぁ」と思って、悩んでいたのを覚えています。でも、実際にその人がうちの研究室にきて一緒に働いてみたら、めんどくさいどころか、何でも知ってるし、どんな事でも手伝ってくれるし、この人なしでは仕事が回らないぐらい面倒見が良い、優しいおばちゃんだったって事が判明したんです

押し付けがましい人からは離れるどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、周りにやたらとお節介を焼いてくる人っていませんか?まぁそれでも自分が必要ないと言えば、...

ちなみに、ちょうどその頃僕は独立して自分の研究室を持とうと他の大学に自分の履歴書なんかを送り始めていた頃でもあったんです。だからと言う訳じゃないですが、この人に実験だけでなく、履歴書の書き方やら、インタビューの練習やら、食事中の会話の練習やらも手伝って貰っていたんです。ついでに英語の文章なんかも添削して貰っていました。もうこの頃には、この人は、僕にとって人生の師匠に近い様な存在になっていました。僕の今の研究の仕方、英語の書き方、人との接し方などはこの人から教わった様なもんなんです。そして、今の仕事に就く事が出来たのは、本当に彼女があの時僕がいた研究室に移動してきてくれたおかげだと思っています。本当にこの人には感謝しかありません。でも、僕は、勝手にこの人の事を自分の親友だと思っています(彼女がどう思ってくれていたかはもう知る事は出来ませんが)。なんか、師匠だと距離が遠い様な感じがしてしまうからです。

憧れの人よりも、自分のそばにいて欲しかった人を目指すといいどーも、ゆーすけです。 皆さんには「あー、こう言う風になれたらいいなぁ」って思う様な憧れの人(実在の人でも、そうでなくても)ってい...

家族ぐるみで大事にしてくれた

まぁそんな感じで、気のいいおばちゃんって感じだったので、仕事以外での付き合いにもいろいろと誘ってくれました。特に、我が家の子たちをとても可愛がってくれました。なぜだかわかりませんが、彼女は、うちの子たちの写真を自分のデスクに飾ってくれてもいたんです。そして、うちの息子が字を書ける様になったと知ると、うちの息子と文通をしてくれたり、うちの子たちが本を好きだと知ると、わざわざうちの子たちの為に子供向けの雑誌を購読してくれたりと、本当に我が子たちを自分の子供のように可愛がってくれました。もうね、本当に感謝しかありません。

自分の代わりはいないと思って自分の人生は生きるどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、自分の人生を自分で責任を持って生きる事って出来ていますか?なんかそんな風に聞かれたら自...

さらには、僕が、まだポスドクと言って独立する前の下積みをしていた頃に、我が家が貧乏過ぎて「夏休みにお金がなくてどこにもいけない」って感じの軽い冗談っぽい愚痴をこぼしたら、その人が持っている別荘を1週間ぐらい無料で貸してくれたりもしたのです。これにはビックリでしたね。まぁ別荘と言っても、アメリカの田舎の田舎のど田舎だったので、いってみたら何もなくて、本当にその別荘の周りをブラブラするぐらいしかやる事はなかったのですが、その夏は家族みんなでのんびりする事が出来たのは良い思い出です(笑)。もうね、数え上げたらきりがないぐらい、彼女は、僕だけでなく、僕の家族の事も大事にしてくれました。こんな人に出会えて(しかも異国の地で)、僕は本当に幸せだったなぁと思っています

上に上り詰める事だけが全てじゃないどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、今いる場所で上の地位になりたいなとかって思ったりしませんか?まぁそう思うのが普通だし、...

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それはあっという間だった

そして、一緒に働き出して2-3年が経った頃、彼女がいきなり「自分は、そろそろ引退する」と言い始めます。まぁこれにはかなりビックリして「まだまだ習いたい事は沢山あるのに引退なんてまだ早いよ」って事を思っていたら、今度は、僕の次の仕事が決まります。もうね、これらの事がほぼ同時に起こったんです。僕が、次の職場のオファーを貰った数ヶ月後に彼女が研究室を去り、その数ヶ月後には、僕が、そこを去るなんて事になりました。もうなんか全てが運命で決められていたかの様な流れだったんです

自分の運命は自分次第で切り開いていけるどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、運命って聞くとどんな事を思い浮かべますか?僕は、運命って聞くとなんとなく自分のストーリ...

まぁでも実際には、その後も交流は続けていて、僕は新しい施設に移った後もその人とは月に1回のオンラインミーティングをしていて研究室の立ち上げに関する悩みなんかを相談していたりしていました。で、僕が、新しい施設に移って半年ぐらいが経って、状況もだいぶ落ち着いてきたなぁなんて思っていた頃なのですが、定期のオンラインミーティングを彼女が急に体調不良でキャンセルしてきたのです。もうね、そこからは本当にあっという間でした

質問はした方がいいどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、自分にわからない事があったら誰かに質問する事って出来てますか?これってなかなか難しい事...

彼女は、リュウマチを抱えていていろんな薬を飲んでいました。後から聞いた話ですが、その頃新しいハーブ系のサプリメントを飲み始めたらしいのです。どうやらそれが体に合わなかったらしく、それの影響で重症の肝炎を起こしていたみたいでした。心配だったので、その後もちょこちょこメールのやり取りはしていましたが、ある時期からパタリと返事がこなくなりました。そして、その数日後に、朝の通勤で車の運転をしていた時に彼女の旦那さんから電話が入り、彼女が意識不明で入院したことを知ります。そこからは、毎日のように祈りました。

奇跡は起きる、でもそれは自分で起こすもの。どーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、奇跡ってものの存在を信じますか?僕は、ぶっちゃけてそう言うものはあるんじゃないかと思っ...

その旦那さんはとても丁寧な人で彼女の仲良しだった人たちに毎日の様に彼女の病院での様子をメールで知らせてくれていました。でもね、メールの内容は日に日に悪くなっていったんです。で、そんなメールでの連絡が2-3週間続いた頃、「彼女が天国に旅立った」と最後のメールが届いたんですそれが2月4日の事だったんです本当にあっという間でした。ついこの前まであんなに元気だった人でもあっという間にいなくなってしまうんだなぁと言う事を痛いほど思い知らされた出来事でした。もしかしたらこの出来事は「もう私から自立して、自分の足で歩きなさい」という彼女なりのメッセージだったのかなぁなんて言う風に今では思っています

自立とは人への頼り方を知る事どーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、自立するって聞くとどんな事を思い浮かべますか?これは僕の勝手な想像なんですが、誰にも頼...

まとめ

いかがだったでしょうか?彼女は僕にとっては親友だったし、師匠だったし、戦友だったし、アメリカのお母さんでした。僕の人生に現れたタイミングと僕の人生からいなくなってしまったタイミングを考えると、僕を今の職場に送り込むために僕の前に現れてくれたとしか考えられません。本当は、僕が成長した姿を見せたいのですが、もうそれも叶わぬ夢となってしまいました。時々、僕がこっちの施設に移ってきてから経験した辛い時期に対して「彼女だったら何て言ってってくれたのかなぁ?」なんて事を考える時もありますが、もうそれも叶いません。

人との出会いは偶然じゃないどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、なんでこの人と出会ったんだろう?なんて思う事ってないですか?例えそれが良い出会いであっ...

とにかく今の僕に出来る事は、彼女がどこかで見てくれていると信じて、彼女が送り込んでくれたであろうこの場所で精一杯頑張る事だと思っていますそして、最後に彼女にこの言葉を捧げたいと思います。

僕は、今でも頑張っているよ!だから心配しないで今は安らかに眠ってください!いつかまた一緒に話せる日がくる事を心から楽しみにしているよ!それまで待っててね!

あーでも本当に会いたいなぁ。

人との縁は大事にするどーも、ゆーすけです。 突然ですが皆さんは、自分が関わる人の影響で自分の運命が変わったなんて経験ないですか?それが良いものであるか...

ゆーすけ

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ABOUT ME
ゆーすけ
アメリカ在住のがんの研究してる人です。自分の経験を元にした「よりよく生きるためのヒント」を発信し、読む人の心を少しでも軽くすることを目指しています。
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