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どーも、ゆーすけです。
日本生まれ日本育ちの純粋な日本人ですが、今はアメリカに住んでいます。30過ぎてから移住しました。でも昔からアメリカに住みたいとか思っていた訳ではなく、若い頃は日本以外の国に住むなんて全く考えてもいませんでした。
そして、日本にいた時していた仕事は医者でした。大学病院で働いていました。今は医者はきっぱりとやめていて、基礎研究者として生きていますが、その頃から研究をすると言う行為には興味がありました。そして、自分独自のアイデアで研究を行なってみたいと言う夢を持つ様になっていったのです。
しかし、医者として大学病院で働いていた時にわかったことは、最先端の研究(その時に思っていた研究は臨床研究です)に携わるには大学という組織に所属している方がいいということ、そして、自分のやりたい様に研究をするには教授というポジションにつかないと難しいということでした。
それを考えた時に、もしかしたら日本で自分がやりたいことを達成するのは相当大変なんじゃないかってことに気がついてしまったのです。
もくじ
自分の夢に手が届きそうな気がした
今は少し状況が違ってきている様ですが、僕がまだ日本にいた頃は独立して研究の責任者になれるのは教授だけだった様な気がします。同じ講座の准教授や助教と呼ばれる人たちは結局1人の教授の下にいて、それぞれのプロジェクトを持ってはいてもそこには教授の意向が必ず影響してきており、いくらタイトルがあってもそれは独立しているという感じにはとても見えませんでした。
しかも僕がいた講座は医学部の臨床の講座です。まさに白い巨頭の世界でした。たった1人の教授が全権力を握り、一旦教授になったら横綱のごとく降格することはありません。その教授が退官するまでは、決して他の人が教授になれることはありません。
そして、たった一つの椅子なのでものすごい競争率です。特に政治力など全くない僕にはとてもその椅子を手に入れることはできないと感じていました。さらに、平均してみるとだいたい前の教授が退官して新しい教授が就任する時期は50歳前後という計算に至りました。
そう考えた時に50歳まで下積みを積む必要性に疑問を感じたのと、50歳まで待ってとしてもなれる保証のないものに人生をかける意味が全く見えなくなってしまったのです。
そうして僕は他の選択肢はないか探し始めます。大学以外で研究する方法も検討しましたが、結局は同じ様な感じで、偉くならない限りは独立して研究はできそうにありませんでした。そして、今度は海外に目を向けてみたのです。
アメリがだけではありませんでしたが、日本以外の国の多くでは、日本の様なシステムではなく、助教や准教授になった時点で独立したポジションとなり、そこからの出世は自分の業績によるということがわかってきたのです。
しかもどうやら助教(こちらでいうところのアシスタントプロフェッサー)になるのに50代待つ必要はなく、30代でも40代でも実力次第でそのポジションにつくことができるということもわかったのです。
それがまず第一に海外に行ってみようと思ったきっかけです。それではなぜアメリカだったのか?そこにはやはり言語の問題はかなり影響を与えていたと思います。
英語ならなんとかなりそうな気がした
まず海外に行くことを考えると、日本語以外の言葉で生活し、仕事をこなして行く必要があります。英語だから簡単という訳ではありませんでしたが、中学・高校と少しは英語に触れてはいたので、英語の環境ならなんとかなるかな?と思ったのです(まぁ実際はアメリカに来てからかなり苦労することにはなったのですが)。
その頃の僕には、英語以外の言語の基礎知識はほとんどなく、書くことも、読むことも、聞くことも、しゃべることもできませんでした。そういうわけで、まずは英語圏以外の国は選択肢から除外しました。
そして、自分のやってみたかった研究の分野や研究に関する環境をいろいろと考慮した結果、アメリカという国の環境が自分の研究には合っている様な気がしたのです。
あと、いろいろと環境やシステムを調べていた時に1番情報量が多く、知りたいことが多く手に入ったのがアメリカだったってのも、もう1つの理由ではあります。
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環境が豊かな感じがした
ここまでは、仕事の環境の話ばかりでしたが、長く住むには生活の環境も考える必要があります。その頃、結構アメリカに行く気になっていた僕は、アメリカでいきたいと思っていた研究室の教授(最終的にその人の研究室で働くことになるのですが)に連絡して見学させてもらうことにしたのです。
たった数日間の観光みたいなものでしたが、観光地だけではなくその街を見て回ったりして、少しだけアメリカで住むっていうのはどういうことなのか?っていうことも調査してみました。まぁ結局はそんな短時間で全てがわかるわけでもなく、住んでみて初めてわかることばかりでしたが、その時に感じたことがアメリカに行こうと思うきっかけになったのは間違いありません。
まず、思ったのは土地が広くて豊かだなぁということ。僕が行った街はそこまで都会ではなく緑もたくさんありました。その頃まだ子供はいませんでしたが、こんなところで子育てできたらいいだろうなぁなんて思ったのも覚えています。
そして、もう一つ感銘を受けたのが、障害者に優しい環境だったことです。アメリカにいると日本と違って障害者が普通に社会に出ています。スポーツイベントの会場などには障害者用のスペースが必ず用意されています。バリアフリーな環境もかなり進んでいます。それを見た時に僕はアメリカってなんかいろんな意味で豊かな環境だなと思ったのです。
実際はそれはいくつかある良い面だったというだけで、全てが豊かではないですし、日本にはないいろいろな問題点もたくさんあるのは確かです。でもその時の僕は、そういう豊かさに憧れてアメリカ行きを選びました。そして、その時思ったアメリカの良い点は、今でもアメリカの好きな一面です。
まとめ
まぁこれが僕がアメリカに行こうと思った大まかな理由です。渡米する時には基本的に日本に帰らないつもりでは来ましたが、その当時はなんの保証もなく、「いつかは日本に帰らなきゃならない日がくるのかなぁ」なんてなんとなくは思っていました。
まぁたまたま運よく今でもアメリカに残ることができていますし、今では日本にいた時になりたかった独立した研究者にもなれました。僕の場合は、本当に運が良かったのだとは思いますが、あの時環境を思い切って変えていなかったら、今頃どうなっていたかはわかりません。未だに独立できず、思う様にならない状況にふてくされていたかもしれません。今となってはどうなったかはわかりませんが、あの時決断しておいて良かったなぁと思っています。
僕の様にここまで劇的に環境を変える必要はないかもしれませんが、今の環境が思う様なものではないもので合ったり、このままいっても自分の目指すことが達成できそうにない環境にいるのであれば思い切って環境を変えてしまうってのもありかもしれません。探してみれば、自分に合う環境はどこかに必ずあると思います。
ゆーすけ
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