進路に迷った時は PR

流れに逆らわない方がいい時もある

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どーも、ゆーすけです。

今現在はアメリカの片田舎の小さな大学で研究者をしています。今の職場に決まるまでに、相当たくさんのインタビューを経験しました。

インタビュー、インタビュー、それからまたインタビューどーも、ゆーすけです。 アメリカの片田舎にある小さな大学で研究者をやってます。それと同時に一応大学の先生でもあります。渡米した時は...

全部で7回のインタビューを経て今の職場に決まったのですが、最後の2つはほぼ同時に受けていました。最終的には今の大学に行く事を選ぶのですが、それは自分の意思で決めたというよりは、今の大学に行く運命がもう初めから決まっていてそれの流れに乗るしかないという様な感じで決まっていったのです。

実はもう一つの大学の方が魅力的だった

今現在、今の自分の職場には大変満足しています。そして、今振り返ってみてもあの時この職場を選んでおいて良かったなと本気で思っています。でも、実を言うとその当時は今の大学ではなくて、同時期にインタビューを受けていたもう一つの大学の方に行きたいと思っていました。

ぶっちゃけた話、僕が今いる大学は良い大学の一つであるのは間違いないのですがそこまで有名な大学ではありません。僕も自分が応募するまでちょっと名前を聞いたことがあるぐらいで、その大学についての詳しいことは何も知りませんでした。おそらく日本にいる方のほとんどの人が知らないのではないかと思います。一方で、僕が行きたかったもう一つの大学はそこそこ有名で、世間一般でもちょっとした憧れの大学でした。

まぁ有名具合で選ぶのアレですが、まずその時点で行きたいバイアスがかかっていたのは確かです。

もう一つその大学に行きたかった理由としては、僕に近い分野のスーパースターがいてその人と一緒に働いてみたいってのがありました。で分野が近いのであわよくばコラボレーションなんかもできたらいいなぁなんてちょっと淡い期待もありました。今となっては今の大学に来た時点で僕は研究分野を少し変えてしまったので、その人との接点はかなり減ってしまいましたが、あの時点ではそんなことも考えてもう一つの大学に魅力を感じていたのです。

自分ではコントロールできない流れを感じた

はっきりとどれくらい近かったかは忘れてしまいましたが、その2つのファーストインタビューがかなり近かったのを覚えています。そして運よく両方ともインタビューの手応えはあり、両方ともセカンドインタビューに呼ばれることになりました。

先に呼んでくれたのは今の大学でした。そのセカンドインタビューには家族も一緒に招待されました。そして、僕がインタビューをしている間に家族はその街を散策し、インタビューが終わったら不動産屋と一緒にもしここに移って来た時に住む場所を見に行くツアーも設定してくれていました。基本的に大接待です。まぁセカンドインタビューに呼ばれるくらいになると大学としてもその人に来て欲しいので、かなり至れり尽くせりになります。まぁ実際にオファーを受け入れた時点で立場は完全に逆転するのですが、オファー前はこちらが断然立場が上になります。

そんなこんなでインタビューの時間以外は楽しいセカンドインタビューでした。それが終わった時点では家族全員がこの街の虜になっていました。

で、家に帰ってからもう一つの大学のセカンドインタビューの日程などを決めるやり取りをし始めたのですが、なんやかんややってるうちに今の大学からオファーが届きました。そしてなんとそのオファーを受け入れるかどうかの締め切りが、もう一つの大学のセカンドインタビューの日にちの直前だったのです。その時点ではまだもう一つの大学に興味があった僕は焦りました。

正直に両方の大学に状況を話してオファーの受け入れの締切日とセカンドインタビューの日程を変えてもらう交渉をしました。今の大学はそのセカンドインタビューの3日後まで締切を伸ばしてくれました。もう一つの大学は日程の変更には応じてくれず、セカンドインタビュー後にオファーを出すとしても3日間では決められないと言って来たのです。もうこの時点で、僕に与えられたオプションは

  1. 今の大学のオファーを受け、もう一つの大学のセカンドインタビューを断る
  2. 今の大学のオファーを蹴って、もう一つの大学のセカンドインタビューを受ける(でもここからオファーがもらえる保証はない)

の2択でした。

まぁ冷静に考えたら1番目の選択肢を選ぶのが順当だと思うのですが、もう一つの大学に魅力があった僕は悩みに悩みました。もう少しで2番目の選択肢を選ぶという賭けに出る寸前までいきました。

でもなんとなく何をどう考えても1番目の選択肢を選ぶ以外の道はないように追い込まれている流れがあることはすごく感じていました。

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子供の直感を信じた

ここまで3−4年暗黒のインタビュー地獄を経験していて苦労していたのは、僕だけじゃなくて家族もでした。そして、今の大学からのオファーを蹴ってもう一つの大学からもオファーが出なかったらまた終わりのわからない旅が始まるのはわかっていましたが、やはりもう一つの大学の魅力も捨てがたかったのです。

インタビュー、インタビュー、それからまたインタビューどーも、ゆーすけです。 アメリカの片田舎にある小さな大学で研究者をやってます。それと同時に一応大学の先生でもあります。渡米した時は...

そんな中最終的に背中を押してくれたのは、当時5歳だった息子でした。彼はこんなようなことを言ったのです。

5歳の息子
5歳の息子
もう一つの大学のある街嫌い。もしそこに行ったらダディーを恨む

彼はその街になんか行ったこともなければ、5歳の時点で自分が住んている以外の街のことを詳しく知っているわけもありません。おそらく彼の直感だったのでしょう。もうそれを聞いた途端にもう一つの大学を諦め今の大学のオファーを受けることに決めたのです

まとめ

僕の場合はこんな感じで今の職場で働くことを決めました。来てみて分かったことは今の自分の上司は面倒見が良く、職場の環境も良く、働く同僚も優しく、もう本当に言うことない環境だったと言うことです。そして、街も住みやすいし、家族も今の環境に満足しているし、本当にあの流れに乗っておいて良かったと思います。

時に僕の今回の経験のように、自分ではどうにもならない流れが押し寄せて来て自分の運命を決めて行くって言う状況が来ることはあります。そんな時は無理に流れに逆らわずその流れに乗ってみるってのもありなのかもしれません。僕のようにハッピーエンドが待ってるかもしれませんよ。

ちなみに、もう一つの大学で僕の上司になる予定の人はその後数年でもっと条件のいい大学に引き抜かれて行ったそうです。もしあの大学に行っていたらどうなったかはもうわかりませんが、もしかしたらあまりいい結末ではなかったのかもしれません。本当にあの選択をしてラッキーだったと思います。てか思うしかないです。

ゆーすけ

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ゆーすけ
アメリカ在住のがんの研究してる人です。自分の経験を元にした「よりよく生きるためのヒント」を発信し、読む人の心を少しでも軽くすることを目指しています。
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