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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、大人になってから(もしくは、一旦仕事に就いてから)就職活動ってした事ありますか?まぁ転職なんかを考えている人にとっては当然の事なのかもしれませんが、多くの人にはあまり経験する様な事ではないのかもしれません。てか、そんな経験したくもないってのが実際だったりするんじゃないかと思います。僕もね、最初の仕事に就いた後には、そんな事をする事になるとは全く想像もしてませんでしたよ。

今現在僕は、アメリカの片田舎にある小さな大学で研究者をやってます。それと同時に一応大学の講師でもあります。渡米した時は、まずポスドクと言う仕事をしてました。このポスドクと言うのは、独立して自分の研究室を持っている訳ではなく、基本的に誰かの研究室に雇ってもらって研究者になるための下積みをすると言うポジションです。で、このポスドクってのは、基本的に誰かに雇って貰うだけなので、そのポジションを得る為の就職活動はそこまで大変ではないんです。その研究室のボスと話をして、OKが出ればすぐにでも雇って貰える事が多いです。

まぁなんやんかでアメリカの研究室にポスドクとして雇って貰う事ができました。で、ポスドクとして3-4年ほど経った頃「いろいろ経験も積んできたことだしそろそろ自分の研究室を持って独立していなぁ」と思う様になっていったんです。でもね、その頃の僕は研究にどっぷりで独立する為の就職活動の準備なんて何もしていませんでした。
そして
ぐらいに安易に考えていました。だからと言う訳じゃないですが、特に情報を集めたりもせず安易に独立した研究者への職探しを始めてしまったんです。でもね、これがこの後に続く長〜い長〜い地獄の始まりだったのです。ここでは、その時に僕が経験した地獄について話してみたいと思います。アメリカで独立した研究者を目指している人の助けになったりしたら嬉しいです。そうでなくても、何かしらかで就職活動をしてる人にも助けになるかも?って感じにも思ってます。

もくじ
大学の教員になるのは狭き門
もうね、最初に僕がよくわかっていなかったのは、これはアメリカだけの話じゃないのかもしれませんが、このご時世博士号を取得する人が増えた関係で、大学教員への道のりがえらく難しくなっているって事だったんです。もうね、大学教員の定員に対して博士号取得者の数が多過ぎて、受容と供給が一致していないってのが現実なんです。どのくらい一致していないかと言うと、アメリカの場合では1つの大学教員のポジションの公募に対して300から500の応募があると言われています。300から500倍の倍率ですよ。まぁそれくらい供給が足りていないって訳なんです。

職探し初期の頃の僕はそんなこと全く知らなかったので、少なく見積もっても10箇所ぐらいに応募すればなんとかなるだろうぐらいに思ってました。今となってはわかりますが、それはむちゃくちゃ甘い考えだったんです。最終的に今の職が決まるまでに僕は100-150箇所に応募書類を送る事になります。でもね、これはまだ書類選考の段階なんです。ここからインタビューに呼ばれないと何も始まりません。これは大学によってまちまちだと思いますが、応募してきた候補者の中で書類選考を通過したトップ3-5がインタビューに呼ばれると言われています。僕は、最終的に職が決まるまでに、運よく7回ほどインタビューに呼んで頂きました。でも、この研究者になる為のインタビューってものが気が狂うほど過酷な試練だったのです。

インタビューのスケジュールが半端ない
まず大学が主催するインタビューでは、1泊2日ないしは2泊3日の日程が組まれます。その間ホテルで1人になるかトイレにいくかぐらいしか気の抜ける時間はありません。基本的に常に誰かに見張られている状態になるんです。まずはインタビュー初日に大学のある街まで飛行機で向かいます。大学によっては空港にタクシーを用意してくれますが、時に大学教員の誰かが空港まで迎えにきてくれていたりもするんです。ありがたいっちゃありがたいのですが、そうなってしまったらもうここからインタビューはスタートしてる様なもんです。だって、ここで印象を悪くしてしまったら、元も子もないですもん。もうね、緊張してるからと言って、とにかく黙っている訳にはいきません。スモールトークをしたり仕事の話をしたりと会話をこちらが盛り上げなくてはいけません。無口な僕にとってはこれはかなり辛いものでした(泣)。

で、一旦ホテルにチェックインしたら、今度はすぐに大学へ連れていかれます。そうなったらもうカゴの中の鳥状態です(笑)。もうなされるがままです。基本的にはものすごい数の教員と1対1でのインタビュー(30分間)が始まります。1つのインタビューが終わったら、次の教員のオフィスに連れていかれて次の30分間の1対1のインタビューが始まるってのが朝から夕方まで続きます。2泊の場合はこれが2日間続くと思ってください。大体15-20人の初対面の人と1対1で30分間会話をします(しかも会話が盛り上がらなくちゃなりません)。もうこれだけでも地獄です。

でも実際には、これはまだメインイベントではないのです。なんとインタビュー期間のどこかの時点で約1時間の自分のこれまでの研究と職を得てからの将来のプランについてのプレゼンテーションをしなくてはなりません。これが一応このインタビューのメインなんです。ここには、1対1で話す時間を持てなかった他の教員やら、その学部にいるポスドクやら学生やらがやってきます。最終的には、50人から100人の前でプレゼンテーションしなくちゃいけなかったりもするんです。しかも、発表後にはものすごい厳しい質問が飛んできたりもするんです。

でもね、これだけでインタビューが終わるかと思ったらそうは問屋が卸しません。「朝ごはん」も「昼ごはん」も「夕ごはん」も誰かと食べなきゃいけないんです。この時間は候補者への接待とは言われていますが気は抜けません。黙ってもくもくと食べる訳にもいかないし、変なこと言えないし、美味しいものを食べさせてもらっても、実際は心の中では「早く終わってくれないかな?」と思ってしまうってのが候補者の気持ちだったりするんじゃないかと思います(笑)。

もうこんな感じで、1日のインタビューのスケジュールが全て終わってホテルで1人になったらもうぐったりです。その後に何もやる気は起きません。こんな感じなのがアメリカの大学教員に対するインタビューなんです。僕はこれを7回やりました。正直言って、かなりきつかった記憶しかありません。でもこれは1回目のインタビューってだけで、実は最終候補には後1-2回似たようなインタビューが組まれます(1回見ただけじゃその人の本質なんて見抜けないですもんね)。で、何回かのインタビューを通り越えて、最終的に職のオファーが出ると言う仕組みです。アメリカで大学教員になるってそれはそれは大変な事なんです(もしかしたら、日本でも同じ感じかもしれませんが)。

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インタビューの戦い方を知らなかった
とまぁここまでは、いかにもインタビューが上手に出来てた様に書いてきましたが、これは職を得る事が出来た今になって振り返っているからって言うだけで、初めの数回は本当にひどいもんだったと思います。自分の仕事さえ良い内容のものであればインタビューなんかそこまで重要じゃないと正直思っていた自分が恥ずかしいです。

でも今は逆にインタビューする側になって、インタビューで見られているのは自分の仕事の内容だけじゃなく、将来の同僚として学部のみんなと気が合いそうな人じゃなきゃ選ばれない可能性が高いって事もわかってきました。あの頃の僕はそんな事も気にせず、静かに聞かれた事だけに答えていました。緊張していてあまり喋れなかったってのもありますが、インタビューって相手が質問してくるだけものだと思ってました。でもそれは大きな間違いだったのです。

何回目かのインタビューの後に、ある施設でインタビューの時に話した教員の1人から電話を受けた事がありました。何の事だろうと思っていたら、いきなり僕のインタビューに対するダメ出しを1時時間ぐらいされてしまったんです。「もっと相手の研究にも興味を持って質問しなきゃいけない」とか「食事中も話を聞いているだけじゃダメだ」とか「プレゼンテーションは今までの仕事だけじゃなく将来の仕事についても話さなきゃいけない」とか、もう死ぬほどダメ出しされましたよ。

今でもなぜその人は僕にそんな事をしてくれたのかはわかりません。結局その人がいる大学には誘ってもらう事は出来なかったのですが、このダメ出しにはかなり助けられたと思います。その時はもの凄く悔しかったですが、今となってはとても感謝しています。このダメ出しをきっかけに何かを根本的に変えなきゃいけないと思って、アメリカ人の友達を誘ってはランチに行き食事の中の会話の練習をしてみたり、トーストマスターズ(こちら)と言うスピーチクラブに入会して会話の練習・プレゼンテーションの練習をしてみたりしました。その甲斐もあって最終的には今の職場にオファーを貰う事は出来ました。最終的には職探しを開始してから職を得るまでには3-4年かかりました。その間100から150のポジションに応募して、7回ファーストインタビューに呼ばれ、3回セカンドインタビューに呼んで頂きました。こんな事はもう2度とやりたくないですが、とても有意義な経験だったとは思っています。この経験を今後に活かせるかどうかは良くわかりませんけどね(笑)。

まとめ
いかがだったでしょうか?本当に長く苦しい道のりでしたが、最終的に今の職場に就職する事が出来たのは本当に運が良かったんだと思います。だって、こんな低い確率の中をくぐり抜ける事が出来たのは運以外には考えられませんもん。でも、何もせず闇雲インタビューを受けまくっていたってだけではなく、自分なりに努力したのも確かです。

今回のこのインタビューの経験から学んだ事は、
- インタビューにはある程度必要なテクニックがある
- どんなに拒否られても諦めない
- 人の忠告は素直に聞いてみる
- 上手くいかなかったら、今までのやり方を捨ててみる
って感じかなぁって思います。

まぁどんな事でも簡単に自分の手に入るって事はあまりなくて、何かしらの壁にぶつかったり、何かしらの努力をしなくてはいけない事が多いと思います。でも、諦めない限りは確率がゼロになる事はないと思うので、もし「どうしてもやりたい事」や「手に入れたいもの」があるなら、しつこくしつこく粘ってみるといいんじゃないかと思います。きっといつか出来る様になるし、手に入れる事も出来る様になるんじゃないかと思いますよ。

ゆーすけ
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