アメリカ生活

ロスト・イン・トランスレーション

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どーも、ゆーすけです。

生まれも育ちも日本です。33歳の時に医者を辞め、アメリカにある研究室で研究者の卵であるポスドク(こちら)をするために移住しました。なんやかんやその後もアメリカに残り研究を続けていたら、運よく今の大学に拾ってもらって独立して研究室を持てるまでになりました。

こんな感じで聞くとものすごく簡単にここまできた様に聞こえるかもしれませんが、渡米当時はそれはそれは苦労しました。特に言葉に関してはものすごく苦労しました(てか今も現在進行形でそれなりに苦労はしてますが)。だって今でこそ英語で学生相手に授業なんかしてますが、アメリカに来た頃なんて英語能力ほぼ無しだったんですよ。

日本にいた時に駅前留学みたいな事をちょっとだけしてましたが、残念ながらそんなものは屁の河童にもなりませんでした。でもまぁ今それなりにアメリカで生きていけているって事はそれなりには成長したんだと思います。でも初めの頃は本当に辛かったです。ここではその頃の涙涙の苦労話でもちょっとまとめてみようと思います。

何を言っているのかさっぱりわからない

まず、おそらく皆さんが英会話に抱いている恐怖は「言っている事が伝わらなかったらどうしよう?」とか「発音がやばい」とか「文法どうしよう」とかいう様なものなのではないかと思います。

でもね、これは完全に不正解なんです。これらの問題はもう少し英会話が出来る様になってから気にすればいい問題なんです。渡米するまで僕はこれに気がついていませんでした。ここから僕の苦労は始まります。

それはなぜかと言うと、言葉なんかわからなくても何かを伝えるって事は出来るんですよ。紙に書いたっていいし、身振り手振りや顔の表情で伝えようと思えばなんとかなります。しかも英語なんて日本で育っていればそれなりに英単語を知ってると思うので、ただ単語を並べただけでも伝わる事はあるんです。

でも忘れないで下さい、英会話って言うぐらいだから会話なんです。会話はキャッチボールしなきゃいけないんです。こっちが言って事がなんとなく伝わっても、相手が言ってる事がちんぷんかんぷんなら会話にはならないんです

この相手が何を言っているのかわからないってのは相手の喋るスピードが早いからって言う訳ではなく、基本的に日本人が思ってる英語の音とアメリカ人が喋ってる英語の音が全く違うのでいくらゆっくり喋ってもらった所でさっぱりわかりません。

もうこればっかりは耳が慣れるのを待つしかありませんでした。自分の記憶ではなんとなく相手が言ってる事がすっと入ってくる様になったのは渡米して3年ぐらいが経った頃でした。それまでは完全にロスト・イン・トランスレーションの状態でした。

ラボの学生に助けられる

まぁ耳が慣れるのも大切でしたが、やはり英語の環境で働いているのでそれなりに英語で喋ってコミュニケーションをとる必要はあります。そして喋る事に関してはは誰かと喋るしか上達方法はありません。

でも残念ながら僕は基本的に無口でシャイなので自分から誰かに喋りかける事はあまりありませんでした。だから初めの頃は職場に行って誰とも喋らず、ただひたすらに実験をして帰るを繰り返していた時期もありました。これでは喋りが上達する訳もありません。

その窮地を救ってくれたのが、僕がそのラボで働き始めたのと同じぐらいの時にラボにやってきた2人の女子学生たちでした。やっぱり女子は喋ります。僕が黙々と実験しててもとにかく話しかけてきます。僕はその子達の教育係に任命されていたので、それなりに指導しなきゃならないので話しかけます。そして仕事と関係ない話を振られ、それになんとか答える。と言う様な状況が毎日続く様になって少しずつ英語を喋る事が自然に出来る様になっていったのです。

初めは彼女らの言ってる事もちんぷんかんぷんで、もう毎日が苦行の様な状態でしたが、そのおかげで英語のスピーキングが上達したのは確かです。彼女達には感謝しかありません。あと、これはちょっとした自慢なのですが、彼女らが結婚した時にはボス以外にそこ頃のラボのメンバーから結婚式に呼ばれたのは僕だけでした。一応ちゃんと彼女らの教育係としての役目は果たしていた様です。

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カタカナ英語作ったやつ出てこい!

さて、英語も聞ける様になり口からも自然に英語がついて出る様になったら今度は発音です。もうね、これは本当にカタカナ英語を作った人を恨みます。

どれだけ喋りが上手くなっても僕が喋っている英語の音(カタカナ英語)がアメリカ人には伝わらないんです。喋れる様になればなるほどこれが顕著になってきます。なぜならそれだけいろんな言葉を使う様になるからです。

この時期になるとアメリカ人から「は?」とか「もう一回言って」みたい事を連発されました。相手には悪気はないのですが、これにはかなり自信をくじかれました。

そしてこんな事が続きまくった結果、悔しさのあまり高いお金を払ってアクセント矯正の教室に通う事にしました。ここで完璧とは言いませんが日本英語のアクセントは少し減らす事が出来たんじゃないかと思っています。その後もずーっと通いたかったのですが、やはり先立つものが続かず断念。でも、その時習った事を踏まえて英語のシャドーイングを今でも平日はほぼ毎日通勤時に続けています。

まぁ今でもアメリカ生まれ・アメリカ育ちの我が子達には英語の発音が悪すぎるとバカにされますが(笑)。

まとめ

まぁ僕だけじゃなく海外に留学したり、移住したりした人には同じ様な経験があると思います。今となってはいい思い出ですが、アメリカ生活が始まった頃は地獄でした。

でもこうやって誰にでも当たり前にある喋って・聞くと言う能力が奪われた事で挫折でもありましたが、学ぶ事も沢山ありました。そして僕が克服できるなら他の誰でも克服できる事だと思います。もし海外に行く事を考えているけど言葉の問題で躊躇している人がいるなら、思い切って行ってみればいいんじゃないかなぁと思います。まぁなる様にしかならないけど、なんとかなります。

あと、僕のこんな経験談が今後アメリカに留学したい人に役立ったらいいなぁとも思っています。

それでは、アメリカで待ってます!

ゆーすけ

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ABOUT ME
ゆーすけ
アメリカ在住のがんの研究してる人です。自分の経験を元にした「よりよく生きるためのヒント」を発信し、読む人の心を少しでも軽くすることを目指しています。
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