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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、人との話ってちゃんと聞く事って出来てますか?これに関しては、他人の話だったら結構聞くって人は多かったりするんじゃないかと思います。でもこれが、自分の身近にいる人(特に自分の家族や子供とか)って感じになったら、話は変わってきてしまったりするんじゃないかと思います。なんか自分の考え方みたいなものを相手にどうしても伝えたいって思ってしまったりするんじゃないかと思うからです。

こんな僕でも、一応2児の父親やってます(笑)。自分は子供を持つ前の時点で、自分に子供が出来た時には、仕事一辺倒でなく子育てもしたいと思っていたので比較的時間の融通がきく今の仕事(研究者)を選びました。そして、比較的自由なアメリカと言う国に移住して、子育てを楽しんでいます。まぁだからと言って何か特別の子育て理論がある訳ではなくて、子育ての初心者なりに試行錯誤しながら日々なんとか子育てを頑張っています。でもだからと言って、ただ適当に子育てしている訳ではなく、自分なりに注意している事もあるんです。それは、基本的には子供の話を遮らないと言う事です。これって実は出来てる様で出来てない人って多いと思います。でも僕は、これって子供を育てる上ではとても大事な事だったりするんじゃないのかな?って思っているんです。

ここでは、なぜ僕がその様に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
人の話は奪い取らない方がいい
まず最初に、僕がどの様に子供のおしゃべりに対応しているかを話す前に、僕の話をしてみたいと思います。もうね、これはちょっと恥ずかしい事だったりするんですが、僕は、基本的に無口です。家族の中でも一番喋らないし、友人の中にいてもほとんど自分からベラベラと喋ったりはしない方です。でもね、昔っから無口だった訳ではないらしく、僕が小さい頃を知っている人から聞く話では、小さい頃の僕はとてもおしゃべりで、止めない限りずーっと喋っていたんだそうです(笑)。

男子は思春期ぐらいから喋らなくなるなんて言いますが、それを考慮しても今の僕は無口な部類に入ると思います。今になって振り返ってみると、小さい頃に母親によく話を遮られていたなぁと思うんです。もしかしたらそれも自分が無口になった理由の1つなのかもしれないなと思っています。小さい頃の僕は、学校から帰ってきた時なんかは、親に話を聞いてもらいたくて学校で起こった出来事をよく話していました(もうこれはどんな子供でもする事なんじゃないかと思います)。でもね、ちょっとでも学校で起きたよろしくない出来事を話すと、その度に「それは良くない事だ」とか「そんな事はしてはダメだ」とダメ出しをされていた様な気がします。

これは、おそらく僕のしつけのためにその様な事を言っていてくれたんでしょうが、その頃の僕は「なんでもかんでも話してはダメなんだ」って事に気がついてしまったし、「これを言ったらダメ出しされるかも」と言う風に考えて怒られそうな事を喋らなくなっていった様な感じがします。だからと言う訳じゃないですが、今でもなんとなく自分の本当に思っている事を主張する事は苦手としています(まぁ今となっては、吹っ切れてもいるので必要な時はきちんと主張出来る様にはなりましたが(笑))。

まぁ実際はこう言う事が本当に僕が無口になった理由なのかはわかりませんが、この様な経験から僕は、なるべく人の話は奪い取らずに最後まで話を聞く様にしています。そして、人の話を聞いている時には「そうなの?」とか「そうなんだ」とかと言う様な相槌だけにとどめ、自分の意見はなるべく述べないと言う事も心がけています。これは彼らの発言に興味がないから自分の意見を言わないのではなくて、興味があるからこそ、遮らずとにかく喋らせてあげるって事に努めているって感じです。それに、僕の過去ではないですが、そこでいろいろ意見なんて言われたら、自分の子たちだって喋りたくなくなってしまうと思うからです。

子供にだって自分の社会がある
じゃあこんな事を言うと、子供が言う事はなんでもあるがままに聞いて、ダメ出ししたり、躾けたりする必要はないのか?って疑問もあるとは思います。
それに対する僕の答えは
基本的にただ聞いていればいい
です。

確かによっぽどひどい事を言っていたり、聞くに耐えない内容だった場合は介入する必要はあると思います。でも彼らだって自分達の社会に揉まれて育っているんですよ。彼らの基本の社会は学校です。もちろん家も彼らの社会ではありますが、僕ら親が関わる時間は朝や夜のほんの少しで、彼らはほとんどの時間を学校で先生や友達と過ごしています。ちょっとぐらいは悪い事もするでしょう。ぶっちゃけて、僕はそれはそれでいいと思います。

子供なみんな、学校で友達とぶつかったり、先生に怒られたりしながら彼らも大人になっていくんですよ。まぁ自分もそんな感じだったと思います。そこに学校生活にはほとんど関わらない親が突然しゃしゃり出て来てダメ出しなんかされたらそりゃ面白くもないでしょう。しかも親が子供から伝え聞く事なんて、学校で起きた事のハイライトみたいなもんで、本当に何がそこで起きてるのかなんて実際にはわからないと思います。そして、子供自身がその全てを上手い説明出来ているのか?って言ったらそんな事もないと思います。

僕はね、基本的には自分たちの子供の事も彼らが通っている学校の事も信じています。だからちょっとぐらい家では悪い子であってもいいんじゃないかと思ってます。友達の悪口を言おうが、学校の不満を言おうが彼らは彼らの社会から生きる術を学んでいけばいいんだと思います。だからこそ、僕は、親にできる事なんて、彼らの話を聞いてあげて、必要ならトンデモナイ方向に進まない程度に方向修正してあげるぐらいなのかな?って思って彼らの話を遮らずただ「うん、うん」と聞いてあげる様にしているんです。

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まとめ
いかがだったでしょうか?人の話を聞くってとても大事な技術ですが、なかなか実行するのは難しい事だと思います。だって誰かの話を聞いてしまったら、自分の考え方や、意見ってものが出てきてしまうと思うからです。で、そう言う事を言った方が相手の為になるんじゃないかな?って思ってしまいがちになると思うからです。特に自分の家族や子供ってものに対しては期待する事が多すぎて、あれやこれや言いたくなってしまうものだったりもするんじゃないかと思います。

そんな風に思う気持ちもわかります。でも、そう言う状況を一歩引いて考えてみると自分だって自分が何か喋ってる時に誰かに遮られたらあまり良い気はしないはずです。だから何か言いたくなった時はグッとこらえてただ聞き役に徹してみるってのもアリなんじゃないかと僕は思うんです。誰だって、自分の話はしたいし、自分の話は聞いて貰いたいって思いますもんね。

それに加えて、僕は、自分の子供の事は信じるのが大事なのかなぁとも思います。良い子になってもらいたくていつもガミガミしてても本当に良い子になるのかはわかりません。僕の感覚では、ガミガミ言われてる子っていろいろ隠す様になるし、陰で悪さをしてたりもすると思います。自分の目に見えなければ何も起きてないって言うのはちょっと考えがナイーブ過ぎる様な気もします。もうそれだったら、ちょっと内容が悪い感じであっても、僕は、子供にはなんでも話せる環境を作ってあげた方がよっぽどいいんじゃないかと思うんです。まぁうちの子たちもいずれは何も喋らなくなっていくのかもしれませんが、出来るだけなんでも喋ってくれる期間を引き延ばしていける様にも、僕は、今後もなるべくただ聞くに徹していこうと思っています。

ゆーすけ
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