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どーも、ゆーすけです。
突然ですが皆さんは、今の自分の仕事ってものが好きですか?てか、今の仕事ってものをいつまでも続けていきたいって思っていたりしますか?もしそうなんだとしたらそれは素晴らしい事だと思います。だって、今自分がやってる仕事ってものに誇りを持てている様な気がするからです。でもね、ここでちょっと悲しい事を言うかもしれませんが、その今やってる仕事ってものをいつまでも続けていく事って出来なかったりするんですよ。本当にね、そんな事って突然起こってしまう事になると思います。

僕は今現在、アメリカの片田舎で小さいながらも自分の研究室を持ち研究者をしています。自分はこの仕事に誇りを持っているし、自分にとっては天職ぐらいに思っています。でもね、ある時自分の経営上の失敗から自分の研究室を潰してしまいそうになりました。で、その時は、自分はきっと鬱状態に陥っていたと思います。そして、全く根拠もないのに、毎日のように意味もなく仕事をクビになる恐怖ってものにに苛まれていました。もうね、本当に怖かったです。この仕事を失うって事が本当に怖かったんです。で、その時に家族に言われた言葉によって僕は救われました。それはどんなものかと言うと「生きてりゃ仕事なんて何だっていい」って感じのものです。本当に助かりました。そして、多くの人にこんな感じの考え方をしながら生きていってみて欲しいと僕は今となっては思っています。この考え方が、生きるのを楽にしてくれると思うからです。

ここでは、なぜ僕がそんな風に考えているかについて簡単に解説してみたいと思います。
もくじ
全てを1人で背負ってる気になっていた
これは僕が勝手に思っている感覚なのですが、研究室を持つって言うのは、中小企業を経営するのに似ている様な感じがしています。で、あの頃の僕は、初めて持った自分の研究室ってものを成功させる事にとにかく夢中でした。そしてこれまでやった事のなかった経営というものに四苦八苦している状態でもあったんです。研究者と言っても、研究だけに集中出来る訳じゃなく、お金の事ばかり考えてるって毎日だった様な気がします(てか、今もそうですが(笑))。もちろん経営者に近い仕事をしているのだから、自分が雇っている研究室のメンバーの生活や将来が僕の肩に乗っかっているのはわかっていましたし、それによってかなりのプレッシャーを感じながら研究をしているって感じだったんです。

また一方で、この頃の僕はなぜか研究室のメンバーの生活・将来だけでなく自分の家族の生活・将来までが僕の仕事の成功にかかっていると思ってしまってもいたのです。確かに一家の大黒柱である自分に大きな責任がかかってくるのは当然なのですが、我が家は共働きなので全てが僕の収入に頼らなければならない訳ではないのです。それなのに、あの頃の僕は勝手に全てを自分1人で背負っている気になっていたんです。もうね、完全に周りが見えてませんでしたね。そして、これが知らず知らずのうちに自分の中で大きなプレッシャーになっていたんだと思います。そこに予想外の財務上のミスを犯してしまい、今まで張り詰めていた糸がぷっつりと切れてしまいました(後から振り返ってみたらそこまで大きな失敗ではなかったのかもしれませんが)。で、このちょっとした失敗がきっかけで僕は自分2人で勝手にパニックになって、鬱状態に突入していく事になってしまうんです。

肩の力が抜けた言葉たち
ここからは本当に地獄でした。夜は眠れなくなるし、ちょっと隙を見せると不安という名の悪魔が襲ってくるしって感じ毎日でした。そして、研究室は潰れ、仕事はクビになり、家族は路頭に迷うと言う様な最悪の結末ばかりが頭の中をぐるぐる巡っていたんです。かと言って、職場では研究室がやばいなんて自分の研究室のメンバーには言えないし、そのためにはポーカーフェイスでいないといけないしって感じで、もう本当に辛い毎日だったんです。

でも唯一の救いだったのは、家族の前では辛い自分を出せた事でした。ここだけの話ですが、奥さんの胸で声を出して泣いたこともあります(笑)。苦しすぎて突然大声で叫び出した事だってあるんです。たぶん側から見てたら何をそんなにパニクってるんだって感じだったとは思いますが、その時の僕は意味もなく相当テンパっていました。だって、今まで経験した事がない様な不安に取り憑かれていたからです。そして、何をどうやったらここから抜け出せるのかってのが変わらなかったからなんです。

そして毎日の様に
と家族に言っていました。
その時僕はおそらく「大丈夫だよ」と言って慰めて欲しかったんだと思います。で、そんな言葉が返ってくる事を予想していたと思います。
でもね、予想に反して家族から返ってきた言葉は
だったのです(笑)。もうね、この言葉には本当に助けられましたね。

これを聞いて「あーこの人たちは僕の職業や収入なんて関係ないんだ。僕と言う存在自体を認めてくれいるんだ。」と心の底から思う事が出来たんです。そして、起こってもいない未来に振り回されていた自分がバカバカしくなって、心がすっと軽くなった記憶があります。で、今の仕事がなくなっても、生きてさえいれば仕事なんてどうにでもなるって事も思える様になっていったんです。この事に気づいてからと言うもの、なんとなくいろんな事が吹っ切れて気持ちが前向きになっていったのを覚えています。まぁ運良く仕事をクビになる事もなく、今もあの時と同じ様に研究室を維持する事は出来ています。でも、きっと今後同じ様な辛い状況に陥っても、あの時ほどのパニックになる事はないと思います。だって、今の仕事を失ったとしても、なんとかなるはずだって心のどこかで今は思える様になっているからです。

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まとめ
いかがだったでしょうか?僕の場合は、たまたま家族と言う存在が自分を辛い状態から引き上げてくれましたが、そうでない人もいると思います。この時の経験で僕が学んだのは不安というのは起こってもいない現実に対する恐怖だと言う事です。もうね、自分の中で見えない敵を勝手に作り出して、その敵を自分が勝手に巨大化させてしまっているんですよ。それに加えて、未来の事を考えたら人は、悪い未来を想像しがちです。だから、自分に辛い事が起こって先が見えない時には、いろいろと最悪の事ばかりを想像してしまうと思います。でもね、そんな時には、僕が家族に言われた事の様に突拍子も無い未来(今とは全く違う仕事をしてるって感じの未来)を想像してみるといいのかもしれません。不思議に思うかもしれませんが、なんだかバカバカしくなってなんとかなる様な気になってくるもんなんじゃないかと思います。

そして、今回の経験でもう1つ学んだ大きな事は、生きてりゃ仕事なんて何だっていい(のかも)と言う事です。僕は、運良くクビにはなりませんでしたが、家族に言われた言葉をよく考えたら、確かにそれも一理あるなって思えたんです。仕事をクビになったら確かにその時は辛いと思います。でも、どんな仕事をしてでも生き延びて、またそこから這い上がればいいんだと思う事が出来る様になりました。そして、今後もし最悪仕事をクビになったとしても、それはそれとして吹っ切ることができる様な気がしています。もし良かったら、皆さんもそんな風に思ってみる様にしてみて下さい。きっといろんな事が怖くなるくなると思いますよ。

ゆーすけ
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